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銀の馬車道 鉱石の道

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織田信長、豊臣秀吉の直轄、江戸時代の天領であった「生野鉱山」。約1200年にわたって日本経済を支えた=朝来市、生野鉱山
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織田信長、豊臣秀吉の直轄、江戸時代の天領であった「生野鉱山」。約1200年にわたって日本経済を支えた=朝来市、生野鉱山
兵庫県最大規模を誇る名瀑「天滝」。「日本の滝百選」の一つ=養父市
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兵庫県最大規模を誇る名瀑「天滝」。「日本の滝百選」の一つ=養父市
秋になると輝くススキの景観で知られる「砥峰高原」。さまざまな映画、ドラマのロケ地とても有名=神河町
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秋になると輝くススキの景観で知られる「砥峰高原」。さまざまな映画、ドラマのロケ地とても有名=神河町
操業を終了するまで東洋一の規模を誇った「神子畑選鉱場」=朝来市、神子畑選鉱場跡
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操業を終了するまで東洋一の規模を誇った「神子畑選鉱場」=朝来市、神子畑選鉱場跡
採掘時からあまり変わっていない明延鉱山の坑道。鉱車の線路もそのまま=養父市、明延鉱山探検坑道
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採掘時からあまり変わっていない明延鉱山の坑道。鉱車の線路もそのまま=養父市、明延鉱山探検坑道

 秋、森林は紅葉に染まる。豊かな自然を満喫しながら、日本の近代史を学べる場所が兵庫県にある。但馬地域の養父市と朝来市にまたがる鉱山群は、いずれも見学施設が整い、住民らのボランティアガイドがていねいに歴史を解説してくれる。周囲には散策に最適な自然環境もある。今年4月には、これら鉱山群などの歴史をまとめたストーリー「銀の馬車道 鉱石の道」が、日本遺産に認定された。産業の歩みを体感できる主要スポットを詳しく紹介しよう。

 ■採掘の名残そのままに 明延鉱山

 奈良・東大寺の大仏鋳造の際、産出の銅が献上されたという明延鉱山(養父市)。1872(明治5)年に官営化され、さらに民営化を経た明治末期、大規模なスズ鉱脈が発見されたことで一気に発展した。全盛期にはスズの産出量が国内の9割を占め、銅、鉛、亜鉛といった多くの鉱物も産出。一大資源基地として戦前戦後の国内経済を支えた。

 しかし、海外の鉱物資源が安価で輸入されるようになったことで、1987(昭和62)年に閉山された。その坑道の一部を養父市が整備・管理し、現在、「明延鉱山探検坑道」として公開している。見学には事前予約が必要で、地元ガイドが案内してくれる。

 「19年間働いた現場を、多くの人に見てもらえるのは誇らしい」と話すのは、ガイドの一人、小林昭義さん(70)。先祖代々、明延鉱山の採掘に携わり、ご自身は7代目になるという。閉山後はほかの仕事に就き、6年前からガイドを勤める。

 小林さんの案内で、いざ、坑道ヘ。ヘルメットをかぶり、入り口へ近づくと、冷たい風が吹き付けてきた。坑道内は、四季を通して13度前後で安定しているという。

 中は照明で明るい。だが、足元には鉱石を運んだ鉱車の線路が残り、天井や壁はごつごつとした岩肌がむき出しだ。水たまりも目立つ。「各地にある観光鉱山と比べ、採掘時からあまり変わっていないのがここの特徴」と小林さん。進んでいくと、あちこちに採掘機械がおいてあり、すぐにでも作業が始まりそうな雰囲気だ。

 小林さんは現役時代、主に立坑(エレベーター)の操作を担当したという。約420メートルの地下から地上までをつなぎ、採掘した鉱石の搬出や作業員の送迎に使われた。現物を見ると、鉄柵だけの簡素な構造だ。これに乗って地下深くに降りていくのは、さぞや恐ろしかっただろう。

 明延鉱山の全坑道の総延長は550キロ。探検坑道は650メートルとごく一部だが、小林さんの解説を聞きながらじっくり見て回ると、いつの間にか1時間半が過ぎていた。

 ■東洋一の巨大選鉱場跡 神子畑鉱山

 平安時代に開山したとされる神子畑鉱山(朝来市)。15世紀から銀や銅などの採鉱が盛んになったが、明治後期には産出量が急減した。

 一方、近くの明延鉱山でスズの大鉱脈が発見されると、鉱石を加工する「神子畑選鉱場」は受け皿として発展。明延鉱山の閉山に伴って操業を終了するまで、東洋一の規模を誇った。明延鉱山から車で約30分。山の斜面を覆う階段状のコンクリート基部が、迫力満点で迫ってくる。高さ75メートル、幅110メートルの選鉱場跡だ。

 基部の横の斜面には、鉱石や人を上下に運んだインクライン(ケーブルカー)の傾斜軌道が残る。水や砕石をためた巨大なコンクリートの沈殿槽も、その大きさに圧倒される。

 操業していたころは、明延鉱山との間に明神電車(愛称・一円電車)が走り、鉱石の運搬や人の往来に利用された。周囲は社宅が立ち並び、最盛期の1955(昭和30)年ごろには1300人が暮らした。

 「不夜城」と呼ばれた工場の建物は、老朽化のため2004年に取り壊された。しかしその後、廃墟は産業遺産として見直され、周囲は公園に。

 敷地内に立つ洋館「ムーセ旧居」は、生野鉱山に招かれたフランス人技師の住宅として1872(明治5)年に建てられ、88年に神子畑に移築された。2004年に現在地へ移設され、今は選鉱場の資料などを展示している。

 また、選鉱場の近くの国道429号沿いに架かる「神子畑鋳鉄橋」は、国内に現存する最古の全鋳鉄製の橋。「銀の馬車道 鉱石の道」で唯一の国指定重要文化財だ。

 現在、神子畑地区の人口は40人ほど。一部の住民はボランティアガイドとして、地域の繁栄の歴史を語り伝えている。

 ■日本経済支えた宝の山 生野鉱山

 生野鉱山(朝来市)は、織田信長、豊臣秀吉の直轄時代を経て、江戸時代には幕府直営の天領となった。1973年の閉山まで約1200年にわたって日本経済を支えた「宝の山」だ。

 閉山翌年に開業した観光施設「史跡・生野銀山」では、採掘跡の一部を見学できる。敷地内の資料館も充実。鉱山の構造が一目でわかる立体模型が目をひく。

 観光坑道の入り口は、手入れの行き届いた庭園の中にある。ひんやりした空気を感じながら、中へ足を踏み入れる。坑道の床は歩きやすく固められている。解説パネルもわかりやすく、博物館を巡り歩いているようだ。

 ところどころに「狸堀り」の札がかかった狭い横穴がある。近代化以前に人力だけで掘り進められた坑道だ。腰をかがめないと通れないほど狭い。のぞきこんでみると、中にはノミを持った人影が…。

 よく見ると、マネキン人形だった。坑道内には全部で60体あり、作業当時の様子を再現する役割を担っている。

 ところが最近、このマネキンたちに新たな仕事が加わった。それぞれに名前が与えられ、アイドルグループ「GINZAN BOYZ」として、生野銀山のPRに利用されるようになったのだ。

 若者の反響も上々。来訪者が増え、土産物売り場に置かれたマネキンたちのブロマイド写真も、けっこうな売れ行きだとか。

 観光坑道は全長約1キロ。マネキン人形を見比べながら歩けば、1時間では終わらない。屋外には露天掘り跡などの見学コースもあり、見応えは十分だ。

   ◇   ◇

 日本経済を支えた鉱山群は、いずれも豊かな自然に囲まれている。周囲の代表的な景勝地を2カ所紹介しよう。

 【天滝】 落差98メートル、兵庫県内最大規模を誇る名瀑「天滝」(養父市)。「日本の滝百選」の一つで、荘厳な姿から多くの伝説も持つ。明延鉱山から近く、登山口から山道を約1・2キロ歩く。周囲の山林は「森林浴の森百選」にも指定されており、トレッキングに最適だ。

 【砥峰高原】 生野銀山に近い「砥峰高原」(神河町)は、秋になると銀色に輝くススキで覆われる独特の景観で知られる。映画「ノルウェイの森」、大河ドラマ「軍師官兵衛」などのロケ地でもある。約90ヘクタールの草原には木道が整備されている。行楽シーズンにはぜひ立ち寄りたい名所の一つだ。

 <播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道>
 生野、神子畑、明延、中瀬の鉱山群を結ぶ「鉱石の道」と、生野から瀬戸内沿岸の姫路までの「銀の馬車道」を合わせたストーリー。今年4月、文化庁により日本遺産に認定された。

 ■探訪ツアーいかが 10月、11月
 神戸新聞旅行社では、日本遺産に認定された「銀の馬車道と鉱石の道」探訪ツアーを企画。コースは10月13~15日出発の「鉱山を学ぼう!生野銀山・神子畑選鉱場跡とススキの砥峰高原」と11月10~12日出発の「紅葉の天滝トレッキングと明延坑道探検」の二つ。両コースとも6980円からで、発着は三宮、姫路の2カ所から選べる。詳しくは同社TEL078・362・7174

2017/9/12
 

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