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銀の馬車道 鉱石の道

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大歳神社から見た銀の馬車道跡=神河町猪篠
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大歳神社から見た銀の馬車道跡=神河町猪篠

 兵庫県朝来市の生野の町を出た「銀の馬車道」は、欄干を車輪からかたどった盛明橋を渡って右折。上り坂を進み、国道312号と合流して生野峠に至る。実際の馬車道は大きなS字カーブを描いて峠を越えたというが、その痕跡は見当たらない。

 生野峠から国道を下り、神河町猪篠に入ると「神崎農業公園 ヨーデルの森」がある。駐車場から右手を見れば、山裾に播但道(播但連絡道)が走り、その下に側道のような道が走っているのが分かる。この道がかつての馬車道だ。大歳神社を過ぎ、そこからさらに南に下った播但道の神崎北ランプ付近で国道に吸収されていく。

 面白いのは馬車道の下にさらに旧但馬街道が通っていることで、追上の集落がかつての宿場。集落には馬車道と旧街道の位置関係や宿の配置を伝える案内板「右 ひめじ 左 たんば」と読める道標も立っている。狭い谷間に播但道、馬車道、旧街道、現国道と、播磨と但馬を結ぶ幹線道路が時代を超えて横たわっているわけで、歴史の奥深さが見えてくる。

 国道に吸収された馬車道はその後も緩やかに下っていき、神河町大山、杉、吉冨と続いていく。吉富には「昔のまま現存する馬車道」と資料に出てくる場所がある。国道沿いの「かんざき大黒茶屋」の東南にある畑川原池近くの砂利道で、昨年11月に神河町教育委員会が発掘調査を行い、当時の築造方法が分かる道路跡が発見されたことで話題になった。

 馬車道の建設は、生野鉱山に雇われたフランス人のシスレーが技師長となり、欧州の「マカダム式」舗装を導入。路面を田畑より60センチ余り高くし、下からあら石、小石、玉砂利を3層に敷き詰めて固めたとされる。今回の調査で、石の少ない土を小石混じりの土で挟んだ3層構造の跡が確認された。まさしく貴重な“遺産”の発見だった。(バンカル副編集長・谷川恵一)

2017/1/7
 

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