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銀の馬車道 鉱石の道

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神子畑が千円を受け取ることになった経緯が書かれた書面と利息の帳簿=朝来市佐囊
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神子畑が千円を受け取ることになった経緯が書かれた書面と利息の帳簿=朝来市佐囊
生野の御下賜金6万9千円の達書=生野書院
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生野の御下賜金6万9千円の達書=生野書院
神子畑に与えられた御下賜金千円の達書=朝来市佐囊
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神子畑に与えられた御下賜金千円の達書=朝来市佐囊

 1896(明治29)年、皇室財産の生野鉱山(兵庫県朝来市生野町)が払い下げとなった際、地元に対する御下賜金(ごかしきん)は6万9千円で、同時期に払い下げられた佐渡鉱山(新潟県佐渡市)の7万円より、千円少なかった。その理由が朝来市内の民家に残る古文書に記されている。

 「明治以降の生野鉱山史」によると、生野と佐渡の両鉱山は1889(同22)年、皇室財産に編入されたが、96年、不安定な経営などを理由に民間への払い下げが決定、三菱合資会社(当時)が落札した。

 両鉱山は長年幕府や国の保護下にあり、払い下げに反発する生野でも地元6町に御下賜金の支給が決まった。生野は当初1万円とうわさされたが、生野銀行頭取の浅田貞次郎が上京するなどして増額の嘆願を続け、佐渡同様7万円まで上積みされたという。

 ところが、郷土史料館「生野書院」に残る「達書」に記された御下賜金の額は6万9千円。実は御下賜金を求める動きは生野鉱山管轄下にあった神子畑鉱山(朝来市佐囊)からも起こっていた。神子畑区長の山内隆治郎さん(72)方には、生野と同じ様式で書かれた達書などが残る。この春、蔵を整理していたら出てきたという。

 それらによると神子畑の申し立ては初め受理されなかったが、住民が初代生野鉱山長の朝倉盛明に嘆願。朝倉の働きかけで生野の7万円から神子畑に千円分けることになったという。請願人には山内さんの曽祖父の名もある。

 神子畑は受け取った千円を銀行に預けた。1914(大正3)年まで付けてある利息の帳簿からは、利息を葬式費用などで村民に分配していたことがうかがえる。

 生野書院の展示資料によると、当時の6万9千円は現在の10億円以上に相当。生野は5万円を預金して利息で毎年植林を行い、財政基盤を確立したという。(長谷部崇)

2016/12/26
 

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