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銀の馬車道 鉱石の道

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「異人館二番館」として建てられたムーセ旧居の屋根瓦=朝来市佐嚢
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「異人館二番館」として建てられたムーセ旧居の屋根瓦=朝来市佐嚢
神子畑の山神宮の神輿。1894年に建造された。すでに解体された神社の屋根にも菊紋があったという=朝来市佐嚢
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神子畑の山神宮の神輿。1894年に建造された。すでに解体された神社の屋根にも菊紋があったという=朝来市佐嚢
神子畑川に架かるつり橋の主塔に飾られていたとされる菊紋=朝来市佐嚢
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神子畑川に架かるつり橋の主塔に飾られていたとされる菊紋=朝来市佐嚢
コワニエが設計したとされる石造りの門柱=史跡生野銀山
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コワニエが設計したとされる石造りの門柱=史跡生野銀山

 1868(明治元)年、明治政府が日本で初めて官営鉱山とし、89(同22)~96年には宮内省御料局が管轄した生野鉱山(兵庫県朝来市生野町)。生野や支山の神子畑鉱山(同市佐囊)の関連施設には、官営や皇室財産だったことを示す「菊の御紋」が残っている。

 有名なのは史跡生野銀山の駐車場にある石造りの門柱。菊紋が浮き彫りにされている。76(同9)年、フランス人鉱山技師コワニエの設計で生野鉱山新工場の正門に大小2組を建造。約40年前、今の場所に移された。

 72(同5)年建設の「ムーセ旧居」にも屋根瓦に菊紋があしらわれている。80年まで生野で勤めたフランス人技術工師ムーセが住み、後に鉱山事務所として神子畑に移築された。

 川底から見つかったという菊紋もある。85年に生野と神子畑を結ぶ馬車道(総延長16キロ)が整備され、計5本の鋳鉄橋が架けられた。神子畑鋳鉄橋(国の重要文化財)の下流にあったつり橋は馬車道の総工費の4分の1を要したと伝わる立派な橋で、主塔の2カ所に菊紋が据えられた。完成後はこの橋を見に多くの見物客が訪れ、土産物屋までできたという。

 ところが、利便性が悪く、数年後に馬車道が付け替えられた。使われなくなった橋は昭和初期に流出したか、取り壊されたという。菊紋も行方不明になったが、しばらくして一つが神子畑川の底から見つかった。鋳鉄製で直径25センチ、重さ17キロあり、現在はムーセ旧居で展示されている。(長谷部崇)

2017/1/12
 

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