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銀の馬車道 鉱石の道

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明延鉱山の閉山直前に撮影された「くろがね号」(「鉱石の道」明延実行委員会提供)
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明延鉱山の閉山直前に撮影された「くろがね号」(「鉱石の道」明延実行委員会提供)
養父市教育委員会に寄贈した一円電車の設計図を示す岡本憲之さん=同市大屋町明延
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養父市教育委員会に寄贈した一円電車の設計図を示す岡本憲之さん=同市大屋町明延

 日本一のスズ鉱山として栄えた兵庫県養父市大屋町の明延(あけのべ)鉱山でかつて鉱山労働者や住民らを運んだ「一円電車(明神電車)」などの設計図がこのほど、同市教育委員会に寄贈された。養父では所在不明だった図面には、丸みを帯びた特徴的な客車のデザインが記される。寄贈した作家岡本憲之さん(48)=栃木県日光市=は、図面を譲ってくれた設計者の人柄をしのび、「武骨な鉱山機械の中で意匠を凝らした跡がうかがえる」と話す。(那谷享平)

 設計図は計14枚でいずれも横約80センチ、縦約60センチ。一円電車の客車「くろがね号」やガソリン機関車などの寸法や材料、工法が分かる。くろがね号の図面は、車体の角が丸くしつらえられ、天井がゆるやかなアーチを描く。

 隅には「明延鑛業所(こうぎょうしょ) 工作課」「昭和23(1948)年11月」などと記される。設計したのは明延鉱山で機械設計を担当した故・勝部郁男さんで、勝部さんの印も一部残る。

 岡本さんは約30年前の高校生の頃、閉山直前の明延鉱山を訪れて一円電車のとりこに。数年後、関係者の証言や資料を集める中で勝部さんの存在を知った。勝部さんは当時、明延鉱山を管理する三菱グループ内で、東京にある関連会社の社長を務めていた。

 「『話が聞きたい』とお願いしたら会ってくれて驚いた。明延鉱山の設計士といえばエリートだが、小柄だけど、勝部さんは豪快な雰囲気だった」。社長室に招かれ、2人で一円電車の話で盛り上がった。「『わしが作った一円電車じゃ』って言っていた。『わしの図面じゃ。見せてやる、見せてやる』と」

 後日、勝部さんに呼ばれて社長室を再訪すると、14枚の図面が2組用意されていた。当時は設計図が残されていた明延鉱山の事務所に連絡し、コピーを取り寄せてくれ、図面は、その場で岡本さんに贈られた。

 岡本さんは自身の著書に掲載したのを機に図面1組の寄贈を決め、昨年末、明延に持参した。「めりはりがあり、分かりやすい」と図面を絶賛し、黄色や朱色に塗られたくろがね号の車体について「こんなカラフルな鉱山鉄道は他に類を見ない」とも評価する。

 今年3月1日で、1987(昭和62)年の明延鉱山閉山から丸30年。また、今年は地元住民の手で一円電車の運行が復活して10年の年でもある。養父市教委社会教育課は「図面は車両の戸籍に当たる資料。一円電車を研究する上で大変重要と考えている」としている。

【一円電車】 1987(昭和62)年に閉山した明延鉱山(養父市)から、神子畑(みこばた)選鉱場(朝来市)までの約6キロを結んだ「明神電車」で、運賃1円で乗客を運んだ客車の愛称。養父市の住民らが地域活性化を目指し、4~11月に約70メートルの特設レールで体験乗車会を行っている。乗車会で使われる客車「くろがね号」は戦後、三菱鉱業(現三菱マテリアル)の社長視察用として製造された。

2017/1/23
 

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