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銀の馬車道 鉱石の道

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江戸時代に但馬街道の宿場町としてにぎわった粟賀の町並み=神河町粟賀町
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江戸時代に但馬街道の宿場町としてにぎわった粟賀の町並み=神河町粟賀町

 兵庫県神河町吉富で「銀の馬車道」の標識に従って国道312号と別れ、細い舗装路を同町中村へと進んでいく。越知川に架かる観音橋のたもとに石碑と「左たじま 右たんば」と刻まれた道標がある。背後の案内板には「現在の『観音橋』は、明治初年の『銀の馬車道』開通の際に補強して供用」との記述も見える。

 中村に入ると風情あるたたずまいが続く。中村とその南の粟賀町は、江戸時代には但馬街道の宿場町としてにぎわい、銀の馬車道が整備された明治以降も旧神崎町の中心市街地だったところ。県の歴史的景観形成地区になっており、漆喰(しっくい)壁に虫籠(むしこ)窓の町家や、元は造り酒屋だという豪壮な建物などが残っている。

 建物の前にあるのが「銀の馬車道交流館」で、館内には当時の馬車の復元模型や馬車道に関する資料が展示され、町の特産品も販売している。

 交流館から馬車道らしく「馬橋」と名付けられた橋を渡り、福本地区に入っていく。池田輝政の孫、政直を藩祖とする福本藩が陣屋を構えたところで、南に下ると「福本藩陣屋南惣門址(あと)」の看板がある。それによれば、陣屋の防御のために藩が土塁を築き、街道をかぎ形に曲折させていたが、そのままでは馬車が曲がりきれないため、馬車道建設の際に大きな湾曲道路に修築したという。

 馬車道は再び国道と合流。市川町に入り、しばらく行くと道が二股に分かれる。左に曲がる国道と別れた先の市川沿いに「銀の馬車道 屋形区」の標識が立っている。市川の舟運の起点であり、船渡しがあった屋形区は江戸時代に宿場として繁栄していた。

 計画では、馬車道は屋形を避けてバイパスにする予定だったが、そうなれば集落が寂れてしまうと地元が猛反対。飾磨県や鉱山寮生野支庁に嘆願書を出した結果、馬車道はここを通ることになったという。馬車道秘話の一つである。(バンカル副編集長・谷川恵一)

2017/1/21
 

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