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銀の馬車道 鉱石の道

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生野代官所の内濠跡
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生野代官所の内濠跡

■朝来市生野町口銀谷

 国道312号から生野の町なかへ入ると、そこには口銀谷の伝統的な町並みがみられます。江戸時代、「生野銀山廻(まわ)り」と呼ばれたこの町の中心部には、「生野代官所」が置かれていました。

 旧生野町教育委員会は、代官所の構造を解明するため発掘調査をしました。写真は、生野義挙碑の西隣を発掘したときに見つかった石垣作りの内濠(うちぼり)跡。石垣構築法から、豊臣秀吉の時代にさかのぼる遺構と判明しました。

 織田・豊臣時代は新たな製錬技術の導入などにより鉱山の開発が急速に進みました。特に豊臣秀吉の時代、銀の産出の中心はこの生野でした。代官所には、このような豊かな「ヤマ」を管理するだけでなく、北の毛利の脅威などへの防衛施設として、石垣城郭に徹底的に修築した竹田城と合わせて最先端の技術が盛り込まれたのです。

 (朝来市教委次長 田畑基)

  

【メモ】内濠跡は幅約8メートル、深さ約3メートル。代官所としては考えられないような大規模な石垣構造で、「平城」をイメージする。石垣で画された代官所の範囲は南北約150メートル、東西約100メートル。

【アクセス】JR播但線生野駅から北へ徒歩約15分。生野小学校南の一角。遺構は埋め戻されているが、濠跡を示す石列により平面表示されている。

2016/10/19
 

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