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銀の馬車道 鉱石の道

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れんが造りの飾磨津物揚場の跡=姫路市飾磨区
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れんが造りの飾磨津物揚場の跡=姫路市飾磨区

 兵庫県姫路市の生野橋から南下した「銀の馬車道」は国道312号と2度ほど交差した後、しばらく並行して走り、途中から市川の旧堤防の上を進んでいく。ハゼの老木などが植わった道で、馬車道の時代の記憶をうっすらとにじませている。

 その後、馬車道は再び国道を横断。そのまま直進し、姫路城の竹の門跡を経て、かつての外堀沿いを下る。堀の幅が思いのほか狭いが、これは馬車道建設の際に東側半分を埋め立てたため。家が立て込む旧城下に道を通すとなると用地取得が難しく、堀を埋めざるを得なかったのだ。

 やがて神屋町の巽橋交差点。馬車道はこの付近から南西に向かい、現在のJR姫路駅を斜めに横切って姫路城外堀の飾磨門の南に出たという。その痕跡はどこにも見当たらないが、市埋蔵文化財センターが2007年に巽橋周辺で発掘調査を行った際、粗石・小石・玉砂利の順で敷きならした馬車道の遺構の一部を見つけている。

 駅の南に出て、飾磨街道を下っていく。この街道は藩政時代に城下と飾磨津(港)を結ぶ産業・軍用道路として整備された道で、馬車道もこれに合流して飾磨津へと向かう。左右に古い町家などが見られる落ち着いた道筋で、播州の浄土真宗の拠点である亀山本徳寺など寺院も数多い。

 さらに進んで山陽電車飾磨駅の横を通り、国道250号を渡ると赤いれんが造りの倉庫が見えてくる。現在は浅田化学工業の社有地になっているが、ここが銀の馬車道の発着点だった飾磨津物揚場(ものあげば)の跡。生野鉱山から運んできた銀の倉庫や荷積み場があったところで、現存する倉庫は明治中期のものだ。物揚場の建物の多くがれんが造りで、そのれんがも生野で焼かれ、馬車道で運ばれた。

 社有地の西側を流れる川の護岸にも生野でよく見かけたカラミ石(鉱石の精錬の際に出るカスを固めたもの)が使われている。生野鉱山と飾磨津を結ぶ銀の馬車道。われわれの想像を超えるモノと人が行き交ったのだ。 (バンカル副編集長・谷川恵一)

2017/3/11
 

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