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銀の馬車道 鉱石の道

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発掘された銀の馬車道跡。手前から右が縁石。男性のいる場所が道路部分=兵庫県神河町吉冨
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発掘された銀の馬車道跡。手前から右が縁石。男性のいる場所が道路部分=兵庫県神河町吉冨
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 兵庫県神河町教育委員会は11日、日本初の産業専用道路とされる「銀の馬車道」の発掘調査をした結果、当時の築造方法が分かる道路跡を同町吉冨で見つけたと発表した。全長約49キロの馬車道の跡は大半がアスファルト道路に改修されており、当時の西洋の先端技術を駆使した工法の詳細が明らかになったのは初めて。

 銀の馬車道は、近代化を急ぐ明治政府が生野銀山(朝来市生野町)で採掘した銀などを姫路港(当時の飾磨津)に運ぶため旧街道を大改修し、1876(明治9)年に完成させた。フランス人技師レオン・シスレーの指導で、最新工法「マカダム式」を導入した。

 発掘場所は国道312号の脇道。幅13メートルを掘ったところ、深さ約60センチから、石の少ない土を小石混じりの土で挟んだ3層構造の跡が確認された。道路端には補強用とみられる縁石が積まれていた。

 同教委によると、3層構造は馬車が高速で走れるよう道路面の高低差をなくし、重さを吸収するクッションの役割も果たしていたとみられる。

 馬車道跡では過去2回発掘調査をしているが、文献に残る「マカダム式」の断面がこれほど鮮明に出たのは初めて。神河町や姫路市など地元自治体は、銀の馬車道などの来春の日本遺産登録を目指している。同町の竹国よしみ学芸員は「文献を裏付ける貴重な発見だ。登録に向け、地元の機運を高めたい」とする。

 現地説明会は12日午後1時半から、同町吉冨の畑川原池付近で開く。同教委教育課TEL0790・34・0212

(木村信行)

 

■近代遺産に詳しい菱田哲郎・京都府立大教授(考古学)の話

 明治期の道造りの技術を解明する一歩になる。その後の工事で改変され、不明な点が多い馬車道の実態に近づく大きな成果だ。

2016/11/12
 

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