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銀の馬車道 鉱石の道

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鉱山の麓に移設された石灯籠(手前)と石碑(左奥)笠石は御影石で新調された=朝来市佐囊
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鉱山の麓に移設された石灯籠(手前)と石碑(左奥)笠石は御影石で新調された=朝来市佐囊
加盛山の岩場にある不動明王の石像
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加盛山の岩場にある不動明王の石像

 鉱山開発で労働者に多発した肺病を沈めようと1900(明治33)年、兵庫県の神子畑鉱山(朝来市佐囊)に不動明王が祭られた。その際に設置され、長年の風雨や落石で横倒しになっていた石灯籠と石碑がこのほど、麓のまちに移された。

 不動明王は木像と石像の2体。同鉱山の主要鉱脈を擁した加盛山の麓に木像を祭るお堂と2基の灯籠、石碑が建てられ、石像はそこから30メートルほど登った険しい岩場のくぼみに安置された。

 高さ1・7メートルの石碑に「近年、当山では肺病患者が非常に多く、今回不動明王を安置し、肺病の消滅と流行病の防御を祈願する」と由緒が刻まれている。寄付者として「三菱会社加盛山事務所」のほか神子畑村の世話役や鉱員の名が並ぶ。

 灯籠は高さ2・3メートル。最上部には推計1トン以上もある大きな鉱石が絶妙なバランスで載せてあったという。神子畑で採れた銀の鉱石とみられるが、どのように載せたのかは伝えられていない。

 約20年前、麓の旧神子畑小学校に隣接する神社跡に祠(ほこら)が建てられ、不動明王の木像が移された。鉱山は現在非公開で関係者以外訪れる人はおらず、元の場所にあった灯籠や石碑は1基を除いて倒れていたという。11月から、鉱山を管理するエコマネジメント社が灯籠や石碑を祠まで運んで修復。灯籠に鉱石を載せるのは危険なため、代わりに御影石を新調しモルタルで固定した。

   ◆◆◆

 神子畑鉱山の採掘は思うように成果が上がらず、1917(大正6)年に閉山したが、19年に完成した神子畑選鉱場は規模、産出量ともに「東洋一」とうたわれた。

 「不動さんは鉱山を守ってくれる、ありがたいもんやでな」と同市佐囊の山内敏子さん(94)。65(昭和40)年ごろまで神子畑の老人会が定期的に山に入って周辺を手入れし、山内さんも義母についてよく拝みに行ったという。「うずもれてしまったもんでも、またこうして見いだしてもらって不動さんも喜んどってや」。(長谷部崇)

2016/12/18
 

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