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銀の馬車道 鉱石の道

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西光寺野人参役所の跡に造られた酒蔵=姫路市船津町
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西光寺野人参役所の跡に造られた酒蔵=姫路市船津町

 西光寺野を進んで福崎町から姫路市船津町に入ると、道の左手に酒蔵らしい建物が見えてくる。姫路藩が財政立て直しのために朝鮮人参(にんじん)の栽培を試みた西光寺野人参役所跡に、1875(明治8)年に創業した蔵元だ。色あせた木造の建物とそばに立つ大樹が、往時の馬車道を残り香のようにしのばせている。

 さらに行くと「船津瓦発祥の地 馬車道跡」と記された石碑が立っている。大沢というこの集落は良質の粘土層に恵まれ、江戸後期から「船津瓦」の生産が盛んだったという。

 そこから少し下って豊富町に入ると、川に架かる「馬橋」があり、突き当たりの三差路まで進むと太尾の集落。道の傍らに1832(天保3)年銘の道標が立っており、「ひめじ」「たんば」「たじま」など3方向の地名が刻まれている。集落内には馬車道には珍しいカーブの箇所もあるが、そこを抜けると再び一本道で、学校や郵便局がある町の中心部に入っていく。のどかな風景が続いていただけに、そのにぎわいが新鮮に映る。

 さらに南下を続け、播但連絡道路が見えるあたりまで来ると交通量も多くなり、久しく見ていなかった市川が姿を見せる。そこに架かるのが3代目の生野橋。初代も全長約167メートルあり、その架橋工事が馬車道建設の中でも最大の難工事だったことから、地名由来の「薮田橋」から「生野橋」に名を改めたという。

 橋を渡るとすぐ左手にミニパークがあり、馬車道の完成を祝って建てられた「馬車道修築の碑」がある。生野鉱山長の朝倉盛明が起こした馬車道修築の由来が書いてあるのだが、劣化が激しく、しかとは読めない。隣に立つ看板に記された写しを読むと、工事の経緯や苦難、完遂した喜びなどがつづられ、工事を主導した朝倉自身の強烈な自負心が読み取れる。

 わが国の近代化と格闘した明治初期の“時代の熱さ”まで伝わってくるのである。 (バンカル副編集長・谷川恵一)

2017/2/25
 

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