連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

銀の馬車道 鉱石の道

  • 印刷
神子畑選鉱場跡に残る巨大なシックナー=朝来市佐嚢
拡大
神子畑選鉱場跡に残る巨大なシックナー=朝来市佐嚢

 「鉱石の道」とは、明治以後、官営鉱山として日本の近代化を牽引(けんいん)してきた生野鉱山、神子畑(みこばた)鉱山(兵庫県朝来市)、明延鉱山(養父市)の三つの鉱山のエリアを指し、2007年に経済産業省の近代化産業遺産群に認定されている。

 生野鉱山についてはすでに触れたが、明延鉱山は産出した銅が奈良・東大寺の大仏鋳造に用いられたと伝わる歴史ある鉱山で、1909(明治42)年に錫(すず)鉱脈が発見されてからは「日本一の錫の鉱山」として栄えた。

 1987(昭和62)年に閉山したが、鉱山の一部を明延鉱山探検坑道として公開し、閉山まで使用していた立坑(エレベーター)や大型重機、削岩機などを展示。出口付近には「明神電車」の電気機関車や車両を展示している。これは明延と神子畑選鉱場を結んで鉱石や鉱山従業員を運んだもので、乗車料金が一円だったので「一円電車」の名で親しまれた。

 神子畑鉱山も古くからの鉱山で、明治初期に銀の新鉱脈が発見されて繁栄したが、その後は産出量が減少。同じ頃に明延鉱山で錫鉱脈が発見されたため、明延から運び込まれた鉱石を選鉱する神子畑選鉱場に生まれ変わった。

 山の斜面に設けられた「東洋一」とうたわれた選鉱場だったが、明延鉱山の閉山に伴い同じ年に閉鎖。建屋は取り壊された。今はコンクリートの基部と人や物資を運んだインクライン(傾斜軌道)、選鉱の最終段階で脱水・濾過(ろか)を行う「シックナー」と呼ばれる巨大な装置、生野鉱山から移築された「ムーセ旧居」が無言で佇(ただず)むだけだが、その存在感は揺るがない。

 選鉱場跡から少し下ったところに国指定重要文化財の神子畑鋳鉄橋もある。1885(明治18)年に神子畑鉱山から生野の精錬所に銀鉱石を運ぶ馬車の鉄道が完成し、その際、神子畑川に架けられた五つの橋の一つで、現存する全鋳鉄製の橋としては最古のもの。JR新井駅近くにも羽渕鋳鉄橋が移築復元されている。(バンカル副編集長・谷川恵一)

 =おわり=

2017/3/25
 

天気(9月8日)

  • 33℃
  • ---℃
  • 40%

  • 33℃
  • ---℃
  • 50%

  • 34℃
  • ---℃
  • 20%

  • 34℃
  • ---℃
  • 40%

お知らせ