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銀の馬車道 鉱石の道

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カラミ石を土台にした旧生野鉱山職員宿舎=朝来市生野町
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カラミ石を土台にした旧生野鉱山職員宿舎=朝来市生野町

 史跡生野銀山から兵庫県朝来市生野町奥銀谷(おくがなや)、新町の集落を抜け、国道429号を進んでいくと、前方に工場のような建物が見えてくる。かつての生野鉱山本部、現在の三菱マテリアル生野事業所で、敷地内には今も1875(明治8)年に建設された煉瓦(れんが)造りの旧混こう所(現総合事務所)など、創業当初の貴重な施設が残っているという。

 残念ながら敷地内の見学は不可だが、心引かれたのが事業所の前に建つ従業員向けの旧購買会。大正時代のレトロな建物で、東には鉱物を精錬する際に出てくる廃滓(はいさい)を積み上げたボタ山のような山が見え、道沿いにはカラミ石(廃滓をブロック状に固めて建築資材にしたもの)を積んだ塀がある。いかにも「鉱山(やま)」らしい濃密な匂いがする。

 「銀の馬車道」はその事業所の前から始まる。西に進んで本町通りに入るが、道の北側に見えてくるのが旧生野鉱山職員宿舎。カラミ石を土台にした独特の塀が印象的だ。上級役職員用の住宅だった「甲社宅」を再生したもので、甲8号は明治初年の建設当初の姿に復元してあり、甲7号は生野ゆかりの俳優・志村喬の記念館になっている。

 やがて馬車道は口銀谷の交差点で左折し、鍛冶屋町通りへ。ほぼ直角に曲がるので、馬車が旋回しやすいようこの辻角部分を拡幅し、市川の河原に石垣を築いて新道を建設したという。

 馬車道は南へ続き、初代鉱山長の朝倉盛明の名を冠した盛明橋につながるが、目を引くのが市川右岸に続くトロッコ道だ。1895(明治28)年に播但鉄道が開通し、鉱山本部からの銀などの輸送も馬車から鉄道に移っていくが、大正時代に電気機関車が導入された際に新たに設置されたのがこのトロッコ道。“馬車道その後”の話だが、モダンな石積みのアーチやレールの跡なども残り、「鉱山のまち生野」を今に伝えている。 (バンカル副編集長・谷川恵一)

2016/12/17
 

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