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銀の馬車道 鉱石の道

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明治時代の生野鉱山本部全景(朝来市教委提供)
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 東京五輪のある2020年までに全国で約100件の認定が予定される「日本遺産」に兵庫県の但馬、播磨の3市3町が共同で「近代日本の鉱山システムを生み出した生野鉱山と馬車の道」を申請した。「明治初期、他の鉱山に先駆けて採掘・製錬から流通までの鉱山システムを確立し、全国のモデルとなった」としている。

 個々の遺産を「点」で指定し「保存」を重視する従来の文化財行政に対し、日本遺産は点在する遺産を物語で結びつけ「面」で発信し「活用」を重視する制度。文化庁が15年度に創設し、年1回選出する。初年度は18件が選ばれ、県内から「丹波篠山 デカンショ節」が入った。

 「生野鉱山-」で申請した3市3町は、生野、神子畑、明延の各鉱山のある朝来市、養父市と、鉱石を積み出していた飾磨港(姫路市)までの馬車道が建設された同市や神河町、市川町、福崎町。

 1868(明治元)年、明治政府は貨幣鋳造の金銀を確保しようと、生野鉱山を全国で初めて官営化。コワニエらフランス人技師を招き、火薬での採掘やダムによる機械動力の利用など最新鋭の大量採掘、生産方式を採り入れた。

 さらに鉱物や石炭などを効率的に輸送するため、76年、生野鉱山から飾磨港まで続く日本初の産業専用道路「生野鉱山寮馬車道」(総延長約50キロ)を整備。周辺鉱山の開発に伴い、85年には神子畑鉱山まで馬車道を建設し、その後明延鉱山まで延ばした。

 幹事市を務める朝来市で日本遺産を担当する柏原正民・竹田城跡保存管理担当課長は「近代化の象徴である馬車道沿いに数々の歴史遺産が残り、地元の誇りとして今に受け継がれている。もし認定を受ければ、地域の新しい起爆剤になる」と期待する。本年度の発表は4月下旬ごろで、落選しても来年度の申請が可能という。(長谷部崇)

2016/4/5
 

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