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銀の馬車道 鉱石の道

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明治初期の洋風建築は全国的にも珍しい=朝来市佐嚢
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明治初期の洋風建築は全国的にも珍しい=朝来市佐嚢

■朝来市佐嚢

 漆喰(しっくい)塗りの壁や柱、グレーの鎧戸(よろいど)、建物の四面に巡らせたベランダ。全国的にも珍しい明治初頭の洋風建築は、その時々で役割を変えながら、鉱山の盛衰とともに歴史を歩んできた。

 もともと、明治政府が雇ったフランス人技師のため、生野鉱山(兵庫県朝来市生野町)近くに建てられた外国人官舎の一つ。1872(明治5)年築で、鉱山技師のムーセ(ムーシェ)一家が住んだとされる。

 ムーセの帰国後、建物は88年に神子畑(みこばた)(同市佐嚢)へ移築され、鉱山事務舎に生まれ変わった。神子畑鉱山から生野まで、鉱石を運んだ「鉱石の道」がすぐそばを通り、道に敷かれたレールや馬と建物が一緒に収まった、当時の写真も残る。

 神子畑鉱山は後に閉山となるが、明延(あけのべ)鉱山(養父市)の鉱石を選鉱する「神子畑選鉱場」が1919(大正8)年に建造された。同じ年、事務舎は今度は診療所に改装され、50年以上も続いた。

 地元住民には「ハイカラな病院」として親しまれたようだ。神子畑区長の山内隆治郎さん(73)は「昭和30年代には鉱山労働者や家族が約1300人暮らし、病院は一つだけだったから、待合はいつも混んでいた」と振り返る。内科、外科室やレントゲン室もあり、山内さんはここで手術を受けたこともあるという。

 その後は健康相談所となったが、83年に閉鎖。「東洋一」「不夜城」とうたわれた選鉱場も87年に操業停止となった。長く空き家状態だった建物は2004年、建設当時の姿に修復され、現在は鉱山関係の史料や、朝来市観光大使の写真家・織作峰子さんの作品を展示している。

 今年、壁の塗り替えなどで久しぶりに「化粧直し」された。凜(りん)としたたたずまいで観光客を迎える。(長谷部崇)

【メモ】 屋根瓦には「菊の御紋」が刻まれ、鉱山が官営や皇室財産だったころの名残とされる。公開は土日・祝日の10~17時(15人以上の予約で平日も開設する)。観覧無料。TEL079・677・1717(土日・祝日のみ)

【アクセス】JR新井駅から車で15分。

2017/7/21
 

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