
撮影・木皿泉
私は子どもの頃から、不安でしょうがなかった。人と一緒に何かをしたり、共有したりするということが苦手だったのだ。たぶん、やり方がうまく飲み込めなかったのだと思う。幼稚園に上がり、学校へ行くようになり、徐々にその方法を取得していったわけで、日本にやってきた外国人のようなものである。
これさえ覚えれば大丈夫という方程式はなく、ひとつひとつ覚えてゆくしか他はない。人と何かをやるのは楽しいのだが、それはいつも気苦労がともなっていて、私は素潜りをする人のように、だんだんと潜る深さをのばしてゆくように、人と付き合う方法を体になじませていった。
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