
撮影・木皿泉
私は、努力というものを、ほとんどしたことがない。仕事の締め切りの度に、死ぬほどの目にあっているが、それは努力というより、安請け合いで背負ったものを、追い詰められて、吐き出しているだけである。学生時代からそうで、私は、何のために努力が必要なのか、いまだによく判(わか)っていないのである。
でも一度だけ、努力というものをしたことがある。それは相方が、2004年に脳内出血で半身マヒになり、食べ物が飲み込めなくなった時だ。
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