
撮影・木皿泉
他人の握ったおにぎりを食べられない人が増えているそうである。たとえ同じ家族でもお父さんはダメだとか、よく知っている友人のお母さんなら大丈夫とか、握る人によって、食べられるか食べられないかが決まるらしい。それは、その人が信頼できるかどうか、ということのようだ。誰が握ったのかわからないおにぎりなど、言語道断なのである。
私が子どものころ、弁当は大きな重箱に詰めるものだった。お花見も運動会も、家族みんなで食べるものだったからだ。だから、小学校に上がって、赤く光るアルミでできた自分だけのお弁当箱を買ってもらったときはうれしかった。フタがゆるゆるで、白いハンカチに包んでくれるのだが、それがお昼には結び目まで茶色になっていて、弁当を入れていたカバンの中は、醤油(しょうゆ)の匂いが染みついていた。中のおかずも茶色だった。自分の家の弁当は恥ずかしいものだった。女子たちはフタで隠しながら器用に食べていた。
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