
撮影・木皿泉
吉本興業の一連のニュースを見ていて驚いた。夢を持ちながら地道に努力して生きている人が、思いのほかたくさんいることにである。芸人さんの中には、40歳を越えてもまだ売れず、「若手の子」と呼ばれている人もけっこう多いと知り、自分の時もそうだったと思い出す。
私がシナリオライターになろうと思い、脚本家の養成所にかよいはじめたのは23歳の時だった。OLという仕事が私の職業ではないとわかったのは、就職して一週間目だった。が、辞めることは母が許してくれそうもなかった。母は、私が辞めるのは結婚する時だと固く信じていたからだ。つまり、OLはそれまでの腰掛け仕事だったのである。私は結婚もしたくなかった。とにかく仕事を探さねばと、脚本家の養成所に通い始めた。
この記事は会員限定です。新聞購読者は会員登録だけで続きをお読みいただけます。