エッセー・評論

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イラスト・金益見
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イラスト・金益見

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 もうすぐバレンタインデーです。ハート形が街に散乱していますが、それを「街中が心(ハート)であふれている」と捉えるとなかなか面白いものです。私はバレンタインでも節分でも、行事の意味はそっちのけで、チョコや巻き寿司(ずし)にハートを託してきました。まさに「恋まっしぐら」だったように思います。

 ところで、まっしぐらを漢字で書くと「驀地」。漢字の中に「馬」が入っているのは、本来は馬に乗って走る様子を表しているからだといいます。そこから転じて「激しい勢いで目標に向かって突き進む様子」という意味で使われるようになったのだとか…。「漢字文化資料館」(大修館書店)というホームページに興味深い解説がありました。

 「音読みでバクチ、と読むことも、もちろんあります。ただ、やっぱりそれだとあちら方面に連想が働くからでしょうか、そうは読まないで、二字でまとめて『まっしぐら』と読むことの方が多いようです」

 まっしぐらとバクチ…これはさすがに博打(ばくち)を連想してしまうかもしれませんね。また、「驀地」は明治時代の小説などにもよく出てくる熟字訓のようです。夏目漱石がロンドン留学中に記した「自転車日記」には、自転車に乗る練習に四苦八苦する様子が「驀地」という言葉を使って表現されているんだとか…。

    *    *

 つまり驀地とは、馬の突進であり、博打を連想させる言葉であり、漱石にとっての自転車の練習、そして私にとっては恋でした。

 しかし思い返すとそれは、恋という行為に夢中になっていただけで、全く相手のことを見ていなかったなあと思うのです。

 昔(恋に突進していた頃)に書いた文章を読み返して笑ってしまいました(恥を忍んで紹介します)。

 ★好きなタイプがどうのこうのという話題があるが、どんなに理想をかかげても、そのひとに振り向いてもらえないと意味がない。恋愛をしていない期間は、相手を探すよりも、理想のひとを一瞬で惹(ひ)き付ける魅力を養うことに時間を使った方がいいのではないだろうか。

 ということで、自分磨きのために今年心がけたいことは、“誰も見ていないところで超かっこいい振る舞いをすること”である。「水を飲むみたいにゴミを拾う」とか、「体操するみたいに席譲る」とか。そうこうしながら自分を磨いているうちに、理想の男性に出逢(であ)って、一瞬で振り向いてもらえるようになるのではないだろうか。

 ★世の中の彼氏でも彼女でもないひとたちはどうやって手を繋(つな)いでいるのだろう。たとえば「酔った勢い」というのはよく聞く話である。しかし、好きなひとに酔った勢いで触れるのはなんだかいやだ。そのひとにも、大事に育てた自分の恋心にも失礼な気がする。次に、どうしても手を繋がなくてはいけないシチュエーションを作ってみるというのも考えてみた。手と手を取り合わないと前に進めないような場所に行くのだ。「崖を上る」とか「川を渡る」とか。しかし、どんくさいひとだったら(それは私)手を繋ぐどころか手を掴(つか)む形になること間違いなしである。はじめてのふれあいが必死さ100%なるのはあまりにも格好悪い。それでも手を繋ぎたい。一体どうすればいいのか。どうしようかと散々考えた結果、「手を繋ぎたい」と素直に言うのが一番いいのではないかという結論になった。

 …黒歴史終了。

    *    *

 しかし、そうして恋に突進した先に、熟考力の習得と発想の転換がありました(なんでも真剣に取り組んでみるもんだなー)。ところで、自分磨きを続けた結果、理想の男性には出逢えたのか? そして手は繋げたのか?…。残念ながらほとんどの恋は失敗に終わりましたが、人に親切にできたり、希望を素直に伝えられる自分になれました。そうして理想の男性を追い求めるのではなく、理想の関係を、好きな人と築けるようになった気がします。

【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。

2020/2/12
 

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