この春、私が受け持った初めてのゼミ生(1期生)が卒業します。今回は、これから社会に出ていく彼らに伝えたいことを、ここに書きたいと思います。
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みなさんにとって、私は先生です。でも、私にもみなさんと同じように先生がいて、私の先生にもまた先生がいます。
私の先生の先生である(ややこしいので、ここではA先生と表記します)A先生はとても厳しい方だったらしく、当時大学院生だった先生は、怖くてまともに口もきけなかったそうです。でもA先生は、先生の一番の恩師であったといいます。
ある日、A先生が病に倒れたと聞き、先生は急いで病院に駆けつけました。容体はかなり悪く、先生は涙を流しながらA先生に言いました。
「A先生! 死なないでください。僕はまだ何の恩返しもできていません!」
すると虫の息だったA先生が突然「阿呆(あほ)か!」と怒ったというのです。
「こんな死にかけ寸前の老人に、何の恩返しですか! 私が君に教えたことを、なんで私に返すんですか!」
先生はこの後、どうしたのか…それが、今につながります。
私の先生は、A先生から受け取ったものをA先生に返すのではなく、私にくださいました。そして、私は先生から受け取ったものをみなさんにギフトする気持ちで、今まで講義をしてきました。
学生でなくなるということはどういうことか。それは、もらう側ではなく、あげる側になるということです。
今まで自分がもらってきたものを、下の世代にギフトできる人を、私は“大人”と呼んでいます。
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私が先生から教えていただいた大切なことのひとつに、「観察」があります。
これからみなさんは、信じられないような理不尽な目に遭うことがあるかもしれません。例えば、上司のプライドを守るためだけの命令をされたり、仕事をがんばっても、評価されるどころか嫉妬されたり邪魔されたり…。社会に出ると、学生時代とはまた違う、わけのわからない無茶苦茶なことがあります。
そんなとき、退職や転職のような形ですぐにリセットするのではなく、「石の上にも三年」のような我慢でもなく、そのエネルギーを全て「観察」に注ぐという方法があります。
勉強は学校を卒業してからでも続けることはできますが、これからはその機会を自分でつくらなくてはなりません。そういう意味では、「理不尽」は時に、大変お得な「学びのチャンス!」になることがあります。
残念ながら、この世は平等ではありません。
所得や身体能力や属性など、その人の努力だけではどうにもならないところを、軽視され、蔑視され、攻撃されるようなことがあります。弱い立場である人ほど理不尽な目に遭ったり、時にひどい暴力を受けたりすることもあります。
自分は大丈夫!と思っていても、追い詰められたときに初めて、自分が社会的に弱者であったことに気づく人もいるでしょう。
無力さを嘆いても、怒りに震えても、待っているのは絶望と消耗です。
ですが、不自由を強いられ、言葉が制限され、手も足も出ないような状況になっても、できることがあります。それが「観察」です。あなたがあなただから、見える景色があります。あなただからこそ、見ることができるのです。
小さくて、弱い力しか持っていないときに、「人を見抜く力」を養うことができます(つまらない人間は、弱い人の前でだけ偉そうにするので、わかりやすいですよ)。
あなたにしか見えない。
あなただから見える。
そして、あなたの目だからこそ見つけることができた「大切なこと」を、次の世代の若者たちに伝えてあげてください。
卒業おめでとう。ようこそ、贈りものの世界へ。
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2018/3/14