「いっきょん先生、私彼氏と別れました!」
渡り廊下を歩いていたときにいきなり学生から、声をかけられました。
話を聞くと、彼女は付き合っていた恋人にひどいふられ方をしたそうです。明るく話すことで、失恋を克服しようと思っているのかなあと思った私は言いました。
「その彼から、いろんな気持ちをもらってよかったなあ! 本気で向き合ったから、ちゃんと傷ついたんよな」
もし恋愛に勝ち負けがあるのなら、私はたとえふられても「本気」を出した方が勝ちだと思っています。失恋をして、ちゃんと傷つくことができた彼女の「本気」を私は称(たた)えました。
恋愛は、他人と真剣に向き合って、自分の心をたくさん動かす濃密なコミュニケーションです。相手とのやりとりのなかでものすごいパワーがみなぎったり、世界が輝いて見えたり! 相手を通して新しい自分に出会うこともできます。案外乙女な自分や、相手を思いやれる自分…。もちろん、いい自分ばかりではありません。
例えば遠距離恋愛中の恋人の浮気が発覚したときには、心のなかに生まれて初めて“疑心暗鬼”という鬼をすまわせることになってしまいました(恥ずかしながら自分の話です…)。
許すより、疑うことにエネルギーを使うショボイ自分と初めて出会った私は、彼のことも自分のことも嫌いになりそうになりました。そのとき助けてくれたのは吉本ばななさんの小説です。
たまたま手にとった「デッドエンドの思い出」という作品は、失恋した女性がつらい状況のなかで、幸せが訪れる瞬間があることに気づく物語でした。
* * *
婚約者に裏切られた主人公は、自分を愛してくれている家族から少しの間離れてひとり、旅人のような日々を過ごします。(以下、引用)
「ただ、こういうことになったとき、その、家族の結束がかたいのがどんなにきついことか、私は思い知ったのだった。ひとりになることができなければ、いつまでも傷は生のままだ。高梨くんと付き合ってきたのは私だけで、この傷は私だけのものだ。それをちょっとの間だけでも、大切にしたかった」
そんななか主人公は、自分のなかに(そしてこの世界に)、恐ろしい色をした底があることを知ります。家族や仕事や友達は、底に落ちなくてすむように(もしくは底があることなんて気づかないように)はりめぐらされた蜘蛛(くも)の巣のようなものだったと、今まで自分はそういったネットのようなものに守られていたことに気づくのです。
吉本ばななさんの小説には、癒やしと気づきが詰まっていました。私は少しずつ元気になって、「また彼との遠距離恋愛をがんばろう!」と決意しました。
しかしその後、私は突然ふられてしまいました。彼は「新しく好きな人ができた。俺が彼女を守らなきゃ云々(うんぬん)」みたいなことを言って私から去っていきました。
今考えると、彼は私のことが面倒くさくなったのでしょう。浮気を責めたり、勝手に立ち直ったりする私に振り回されるより、わかりやすく「守れる女性」を選んだのではないでしょうか(知らんけど)。
* * *
「人に言うとなんかスッキリしましたー」。廊下を渡り終える頃に話し終えた彼女は、爽やかそのものでした。
怒りの炎に薪(まき)をくべることなく、記憶を温め直して傷つき続けるわけでもない、それはまさに、次へ進もうとする恋愛報告でした。
恋愛相談だと思っていた私は、過去の失恋から学んだことをどこから話そうか考えていました。本が助けてくれたことやそこに書かれてあったこと…。でも、春風のように爽やかな彼女を見て「聞くだけでよかったんや!」と気づき、恥ずかしさに卒倒しそうになりました。
でもいいのです。過去の失恋から何を学んだかなんて人それぞれ! 何よりこのエッセーのネタになったので、失恋の元は取れました!
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2019/2/13