「先生! 夏休みに読むのに、おすすめの本を貸してくださいませんか?」
ゼミ生からそんな依頼を受けた私は、本のソムリエになった気分で、はりきって選書しました。
中学の社会科教員を目指すその子にぴったりの本は何か…そこでクールに熱い刺激を与えてくれるいくつかの本をセレクトしました。
まずは日本の近現代史をわかりやすく教えてくれる、小熊英二さんの「日本という国」。過去の歴史について書かれているはずなのに、今をリアルに感じられるようになる、そして私たちがこれからどこへ向かうのかを考えさせてくれる興味深い本です。
次に、岸政彦さんの「断片的なものの社会学」。「こんな素晴らしい本に学生時代に出逢(であ)えることが羨(うらや)ましい」と思う気持ちで(選ぶというより)手渡しました。これは本の形をした切なくて美しい巨大な何か…私の語彙(ごい)力では、この本の凄(すご)さをちゃんと表すことができないので「とにかく読んで! 今から新しくこの本を読めるなんて最高やな!」と言って渡しました。
続けて、純文学小説をいくつか紹介しました。エンターテインメント小説もいいのですが、研究室に本を借りにくる熱心さで、純文学の扉を開いてほしいと思ったのです。
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多くの作家のデビューに立ち会った元・文芸誌編集長の根本昌夫さんは、ご自身の小説講座(教え子2人が芥川賞同時受賞!)で、こんなお話をされるそうです。
「高橋源一郎さんも言ってることですが、作品と読者の間に、一〇〇メートルの距離があるとします。読書体験というのは、その途中で両者が出会うことです。
作品または作家は、読者に伝わるような表現や描写をすることで読者に歩み寄ります。
読者は、作品の意図をくみ取ることで作品に歩み寄ります。
最もバランスがとれているのは、作品と読者が中間の五〇メートル地点で出会うような作品でしょう。
作品の方が読者により多く歩み寄ってくれるのがエンターテインメント小説。
テレビは視聴者に一〇〇メートル寄っていくメディア。見る側はひたすら受け身でいられるので、疲れていてもぼーっと見ることができる。
小説を読むのには、労力と努力がいる」
小説のなかでも純文学はこちらから半分歩み寄ることが理想で、読むことにパワーを要する…だからこそ大学生の夏休みにぴったりではないかと思ったのです。
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本を読むと、世界が広がります。それを「人間性が深まる」や「生き方(物事の捉え方)が変わる」と言い換えることもできます。なぜなら読書はすべて「人間を知る」ということにつながっているからです。
本には、誰かの考えや気持ちや想(おも)いが丁寧に綴(つづ)られています。
例えば「考え」と「気持ち」と「想い」はそれぞれ違うものですが、何も考えずに生きているとそれらが一人の中に違う形で存在するということにも気づきません。
他人、友達、肉親、好きな人、嫌いな人、どうでもいい人…彼らがみんな違うんだということを本は教えてくれます。そして、彼ら一人一人の中にもまた、それぞれ違ったその人が存在することに気づかせてくれます(例えば母が、子どもで、恋人で、妻で、女で、人間であるように)。
私たちは人を「一般化」することで、何も考えずに生きていくことができますが、勝手なイメージで人を括(くく)ることは実はとても怖いことです(過度で否定的な一般化は暴力につながります)。
世界を、思い込みで仮面を被(かぶ)せた人ばかりにしないように…精いっぱい書かれた本を、力いっぱい読んでみましょう。広がった世界のその先に、愛せる自分と赦(ゆる)せる他人が待っているかもしれません。
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2018/8/8