エッセー・評論

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イラスト・金益見
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 新しい年が始まりました。年が新しくなるという区切りは、人類が生み出した知恵だと思います。何も変わらない日々が、新年という形で区切られることによって、なんだか気持ちまで新しくなりますよね。年の節目に抱負や目標を立てる人が多いのにも頷(うなず)けます。

 さて、私の今年の目標は「知りたくないことを知ること」です。

 当たり前のことかもしれませんが、私は自分の知っていることしか知りません。そして、なぜそのことを知っているのかというと、「知りたい」と思ったからです。

 逆に、大切なことなのに知らないこともたくさんあります。なぜ知らないのか。それはひょっとしたら「知りたくないから」なのかもしれません。

 「無知というのは、知識の欠如ではなく、『知らずにいたい』というひたむきな努力の成果である」。これは、思想家の内田樹(たつる)さんの言葉です。(引き続き内田さんの言葉を拝借すると)例えば親が説教くさいことを言い始めた瞬間にふいと遠い目をする子どもの様子を想像してみてください。子どもは、「親の説教モード」に入った瞬間、即座に耳を「オフ」にします。部活の先輩の小言、バイト先の店長からの注意に対しても同じことが言えるでしょう。

 つまり、子どもは「大人の説教」を耳に入れないためにアンテナを張り、不断の警戒を怠りません。これが「知らずに済ませるための努力」です。

 私がそれを実感したのは、ある時学生に「政治についてなんて知りたくないし興味もない」という話を聞いたことからです。彼は「税金の使われ方なんかを気にしだすと、コンビニで買い物するときなんかもいちいち躊躇(ちゅうちょ)してしまいそうでしんどい」と言うのです。彼は、政治について、知らずに済ませる努力をし続けているのかもしれません。

   * * *

 去年、ポーランドにあるアウシュビッツ(ビルケナウ強制収容所)を訪れました。帰国後、授業でそのことを話すと、アウシュビッツを知らない大学生が結構いることを知って驚愕(きょうがく)しました。

 私はそれまで、若い人を「何も知らない」とバカにする大人をどうかと思っていました。学生は「学ぶことが生きること」なので、彼らが知らないことは、知っている人が教えればいいと思っていたのです。

 しかし、アウシュビッツを知らない学生に対しては、今までどうかと思っていた大人たちと同じように驚いてしまった自分がいました。

 私は「このままではあかん」と思いました。ここで驚愕して終わらせると、学生にとっても私にとってもよくないと思ったのです。

 後日、知り合いのフォトグラファーにそのことを話すと、彼は「時代もあるかもしれません」と話し、こう続けました。「希望が見いだせない社会に生きている若者が、わざわざお金を払って負の遺産を見に行ったり、興味を持ったりしづらいのでは。今の若い人は娯楽やエンタメに時間やお金を使うことで、バランスをとっているんじゃないでしょうか…」

   * * *

 アウシュビッツを知らない学生も、政治に興味のない学生も、無知なのではなく、知らないための努力をしているのだと考えると…私は新たなことに気付きました。

 「私もそうかもしれない」

 ここで冒頭の目標につながります。

 この世には、知りたくなくても知らなければならないことがあります。どちらかというと、知っておいた方がいいことがあります。知っていると命を守ることができることもあります。

 学生に驚愕する前に、自分は知りたくないことに目を背けていないか…そう考えたときに、今年の目標が決まりました。知りたくないことを知ること。“興味”をスタート地点にしない、新しい「知」の始まりを自ら実践した上で、その魅力を学生に伝えていきたいです。

【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。

2018/1/10
 

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