モテクリエイターのゆうこすさんが「本格的に夏だ!! めっちゃ恋愛しよーっと!」とツイートしているのを読んで、そういえば自分も“夏は恋の季節”と思い込んでいたよなあということを思い出しました。
でも、あるとき気がついたのです。恋って夏だからするものでもなければ、クリスマス前だからするものでもないということに…つまり、周りや空気に流されて、「恋をしなければならない」と焦る必要は全くないということ!
ぶっちゃけ恋なんて、してもしなくてもどっちでもいいんです(あれ? 文体が変わってきたぞ)。恋で思い悩んだ結果、死ぬような苦しみを味わう人はいても、「恋をしないあまりに死んでしまった」という話は聞いたことがありません。
恋をしなくても生きていけますが、ごはんを食べないと生きてはいけません。しかし、恋の病でごはんも喉を通らないということがあったり、恋によって自分自身を(下手したら人生を)を見失ったりすることもあります。
ここで、「恋から覚めた後にやっと気づきを得た!」という人の日記を紹介したいと思います。
* *
昔好きだった人から、メールがくるとびっくりする。
何に?
自分に。
好きだった頃はメールが来たらうれしくてうれしくて、連絡がないと気になっていつも携帯とにらめっこ(→表現が昔風)していたのだけど、今はその人のことをすっかり忘れている自分に驚き、改めて考える。
連絡が来なければ一生思い出さなかったかもしれない。何このアッサリ感。恋心ってそんなもんなのか? そんなもんなのだ。そんなもんに一喜一憂していたのだ。
携帯とにらめっこ(→気に入った)していた時間、いろんなことができただろうに…(もっと犬を散歩に連れて行ってあげればよかった)。恋そのものを否定したいわけじゃない。恋に翻弄(ほんろう)されて、自分の気持ちや時間を浪費しすぎたなあと思うのだ。
会っていない時間にその人のことを考えることで、自ら恋心を加熱させていた。冷めれば忘れてしまうような存在なら、その人に夢中だったのではなく、恋に夢中だったということだ。
* *
この日記を書いたのはいっきょんさんという人なのですが、その後彼女は、自ら恋心を加熱させることでいろんなことを見誤らないように、自戒を込めて恋の教訓を作ったそうです。
(1)ラブソングや恋愛ものの映画などで、勝手に自分の気持ちを盛り上げないこと
(2)メールを何度も読み返さないこと
(3)相手に関することを検索して、画面の中のその人の情報から、勝手にその人像を作らないこと
(4)要するにひとりの時間に、自分自身で恋心を膨らませるようなことはしないこと
(5)その代わり、会った時には全力で楽しむこと
(6)自分の目でしっかりと目の前にいるその人を見つめて、感じること
(7)脳みそだけじゃなく、全身を使って感じること
などなど…その後いっきょんさんは「恋心を育てるより、自分自身を育てる方が、結果恋も上手(うま)くいく」という答えにたどり着きました。そして、恋って“するもの”ではなく、“してしまうもの”だったんだということに改めて気づくのです。
「恋っていうのは、気がついた時にはしちゃってるものなんだよ、いくつになってもね。しかし、終わりが見えるものと、見えないものにきっぱりと分かれている、それは自分が一番よくわかっているはずのことだ。見えない場合は、大がかりになるしるしだね」(吉本ばなな「TUGUMI」より)
ということでみなさん、夏です! 恋するもヨシ、ひとり旅するのもヨシ、卒論のためのフィールドワークに出かけるのもなおヨシ! せっかくなので、終わりなんて想像もできないような、壮大な夏を過ごしてください!
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2019/8/14