エッセー・評論

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イラスト・金益見
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イラスト・金益見

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 2020年がやって来ました。新しい年を迎えるにあたり、姉妹で「10年前は何をやっていたか」という話になりました。

 妹は10年前、歯科衛生士でした。その後、一念発起して韓国に留学し、現在は韓国語・日本語講師として活躍しています。「一から始めたことが10年で実を結ぶこともある。自分の頑張り次第でどうにでもなるなあ!」と感慨深く語っていました。

 私は10年前、大学の非常勤講師でした。朝、パン屋さんでアルバイトをして、昼は大学で授業、夜は家でひたすら漫画を読んでお手紙を書いていました。

 ここで読者のみなさんは「え? 毎日漫画読んでたの?」と思ったかもしれません。そうです、10年前の今頃は…。

     *    *

 2012年に「贈りもの~漫画家4人からぼくらへ」という本を出版しました。漫画家さんに夢の見つけ方やかなえ方をインタビューした本です。10年前の今頃は、その取材準備の真っ最中でした。

 そのときインタビューを申し込んでいたのは、「スラムダンク」や「バガボンド」の作者である井上雄彦(たけひこ)さんでした。

 当時の私は「憧れの漫画家さんに会える」と最初は浮かれていたものの、オファーをかける段階になって、自分みたいな普通の人間が“漫画の神様”から言葉を引き出すことはできないかもしれない…と不安に押しつぶされそうになりました。そのときなんとか逃げずに済んだのは、「誰にもできないことなんてできない。だから、誰も(面倒くさくて)やらないことをやろう」と決意したからです。

 インタビューを申し込む際、私がまずしたことは毛筆の練習でした。井上雄彦さんの絵には、線に生命が宿っています。なので取材申し込みのお手紙は、内容だけではなく、肉筆に想(おも)いを込めなければいけないと思ったのです。お金がなかったので百均でテキストを買ってきて、まずは筆ペンで「あ」から「ん」までのお手本を何度もなぞり、次に手紙に出てくる漢字をピンポイントで練習しました。そのとき書いた手紙は以下のような内容でした。

 「『贈りもの』は、魂を燃やして走り続ける人の言葉を一冊のギフトにして届けたいと考えた本です。贈りものを受け取った人が、燃える魂のひかりを浴びて、誰もが持っている人間の力を信じられるようになったらいいなあと思っています。

 井上先生は、作品を通して既にそれを実現されている方だと思います。

 筆で描かれた線は、時折最後のはねがシャッとなりますが、私は『バガボンド』のはねに、井上先生の“魂の散り”のようなものを感じます。井上先生の作品を読むと、人は強くて弱くて強いんだなあと思います。私は大切なことを“漫画”で表現されている井上先生にお会いして、それを生み出した人の言葉に触れたいと思いました」

 その後、ご本人から「金さんが書いたものを読んでからインタビューの有無を判断したい」というお返事をいただき、2通目の手紙の漢字の練習が始まりました。

 毛筆が功を奏したのかどうかはわかりませんが、無事インタビューの許可はいただけたものの、当日は「質問を質問で返されて言葉を詰まらせる」という失敗をし、今でもしどろもどろだった当時の自分を思い出しては恥ずかしくなります…。

     *    *

 この10年間、恥やら汗やらかきながら、ずっと走ってきました。できないからやらないのではなく、できてもできなくても「とにかくやること」を繰り返してきました。動き続ける限り、必ずどこかにたどり着けるもんだなあと、今振り返って思います。

 動いて失敗するのは怖いです。でも心配しなくても失敗するし、時に成功したりもします。失敗や成功は、すべて動いてきた証しなので、これからもどんどん失敗していこうと思います。

 新しい世界をまだまだ見たいので!

【金益見(きむ・いっきょん)】 神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。

2020/1/15
 

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