みなさんは将来どんな職業に就きたいですか?
大学受験を視野に入れて勉強しなければいけない時期に、私は作詞に夢中になっていました。シンガー・ソングライターを目指していたからです。
当時のノートをめくると、「π(パイ)」というタイトルの曲や(高校時代の私よ、数学の授業中に何考えてた?)、「ストロベリーフィフティーン」という15歳の気持ちを綴(つづ)った歌詞など、オリジナル曲の構想であふれています(笑)。
いよいよ進路を決定しなければいけない時期に、「上京して歌手になる」と宣言した私。頭を抱える母…散々話し合った末に、母は私に「それなら今ここで歌ってみなさい」と言いました(ある日突然台所で…)。
フライパンやまな板に見守られながら、オーディションのような緊張感でアカペラ曲を歌い終えた私に、母は言いました。
「あなたの唄では、プロになっても続かないし、自分の娘がそんな状態でもしテレビに出たりしたら、お母さんは恥ずかしい」と。
私はショックを受けながらも理由を尋ねました。すると母は真剣な口調で、こう続けたのです。
「歌唱力の問題もあるけど、それは練習の積み重ねでなんとかなるかもしれない。何より駄目なのは、あなたの唄に中身がないこと。音楽だけじゃなく、お母さんがいいなと思うアーティストは、何かが積み重なってあふれでてきたような表現をする人。想(おも)いがたまって、自分の内側だけでは抑えきれなくなって、時に嗚咽(おえつ)するように表現しているアーティストもいる。今のあなたの中には何もたまってないから、ペラペラの唄しか歌えていない」
その言葉は、当時の私に突き刺さりました。だから、母に真剣に聞きました。「どうしたらペラペラじゃない唄が歌えるようになるの?」
母は、私の目を見つめて言いました。
「大学に行きなさい」
「ダイガク?」
「大学に行って、たくさんの人や言葉やモノに触れなさい。大学に行くってことは、大きくて豊かなものに出会える時間とチャンスを与えられるということなの。あなたが自分の中に何かをためたいって気持ちで行動すれば、それに応えてくれる環境が大学にはあるから」
そうして、私は自分の中に何かをためるために、大学に進学しました。
最初にしたことは「とにかくいろんなクラブやサークルをのぞいてみる」ということでした。まずは〝同世代の人たちに出会う〟ことから始めようと考えたのです。
テニス部だった私は、テニスサークルの新歓に参加したり、友達に誘われたラクロス部の見学に行ったりしたのですが、いろいろ迷った結果、映画研究会(通称・映研)に入部しました。
決定打になったのは〝服装〟です。
「たくさんためるためには、まず自分の中を広げなくてはいけない」と思っていた私がまず考えたことは〝自分と違う人たちと出会った方がいい〟ということでした。
テニスサークルやラクロス部の先輩や同級生は、みんな似た服装や髪形をしていました。そこは、同じ趣向の仲間が集う場所として居心地はいいとは思ったのですが、自分の世界は少ししか広がらない気がしました。
その点映研は、みんなバラバラでした。コム・デ・ギャルソン風の子からメガネ君まで皆それぞれのこだわり(無頓着というこだわりも含めて)を持っていました。
映研では自主制作映画を撮ることがメインだったので、俳優志望のイケメンから映画オタクの先輩、批評家のような同級生まで多種多様な人たちが集まっていたのです。
そうして私の「世界を広げ、自分の内側に何かをためるための大学生活」がスタートしました。
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2017/5/10