新しい年が始まりました。
私は「新年明けましておめでとうございます」というあいさつが好きです。「おめでとう」という特別なときにしか使えない言葉を、新しい年が来たら誰にだって言うことができるからです(学生、同僚、事務員さん、警備員さんと「おめでとうございます」と言い合える新年初の出勤日も好きです)。
年を区切るだけで、抱負を抱けるのも面白いなあと思います。人間ならではの知恵というか、去年がリセットされて真っさらになるような気持ちになります。
また新年は、抱負だけではなく、去年1年を振り返るいい機会だと思っています。去年の学びを箇条書きでまとめてみると…(学んだことを「~こと」にしてまとめると頭に残りやすいのでオススメですよ)。
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「しない方がいいこと」
・期待…まさに!
・長時間労働…逆に効率が悪い。
「した方がいいこと」
・準備…何事も。
・8時間睡眠…寝ると心も頭も体も楽になる。
「やめてよかったこと」
・好きでも嫌いでもない人との食事…断る勇気。
・思い出し怒り…過去に受けた傷を、温めなおして化膿(かのう)させているのは自分自身。
「やってよかったこと」
・お湯に浸(つ)かる…お風呂に入って、一度たりとも後悔したことがない。
(お風呂のくだりは正直書こうか迷いましたが、去年は湯船に浸かることで体力と精神力を回復させてきたので、やはり外せないなあと思い、入れました!)
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さて、去年は学生からもさまざまなことを学びました。ゼミの運営に関して意見をもらったり、週一で映画鑑賞会をして、違う視点を教えてもらったり…。何より卒業論文を通して、彼らと共にひとつのテーマについて熟考できたのは大きな学びと喜びにつながりました。
「めだかの学校」という曲がありますが、2番に「♪誰が生徒か先生か」という歌詞が出てきます。誰が生徒か先生かわからないくらいみんなで元気に遊んでいるという歌詞なのですが、今になって「めだかの学校は理想的だなあ」と思うのです。
私は自分が先生という立場になるまで、先生は先生だと思っていました。
もちろん、専門知識を提供する立場なので確かに先生でもあるのですが、先生は先生をやりながら、その辺のあんちゃんだったり姉ちゃんだったり、誰かのお母さんだったり、孫に目がないおじいちゃんだったりするわけです。
学生もそうです。学生をやりながら、ユーチューバーだったり、ヤンキーだったり、おしゃれの達人だったり、誰かの孫だったりするわけで。学校という場所では先生は先生らしく、学生は学生らしく振る舞っているのですが、本当は「先生だから教える、学生だから教わる」だけではない双方の学びもあるはずなのです。
「学生から学んだこと」というと、「問題児に苦労させられたことが学びになった」という先生がときどきいます。それも学びだとは思うのですが、私は「そもそも問題児ってなんだろう」と思うのです。例えば校則に違反するから問題児なのでしょうか。そもそも校則自体がおかしい場合もありますし、その学生が同調圧力に屈しない精神の持ち主だという可能性はないでしょうか。
授業をちゃんと聞かないから問題児というのも、視点を変えると、学生を集中させられないような授業をしている方には問題はないのでしょうか(学生は授業を聞くプロではありませんが、先生は授業をやるプロのはずです)。先生は教えるのも大切ですが、それと同じくらい学び続けるのも大切なのではないかと思うのです。
…と偉そうなことを書きましたが、「学び続けること」は、私の今年の抱負でもあるのでした。新年らしく、去年の学びと今年の抱負を徒然(つれづれ)と…。今年もよろしくお願いします!
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2019/1/16