みなさんは悩み事があるとき、誰に相談しますか。親、友達、恋人、それともインターネット(質問サイトとか)?
私は大学時代、悩み事があると図書館に行きました。本棚の前に立って、自分が求めている言葉が書かれているような本を探す…栄養を摂(と)るように、お酒に酔うように、時に薬を飲むように、紙に印刷された文字に何度も助けられてきました。
余談になりますが、私は電子書籍より紙の本が好きです。匂いや手触りが本によって違うので、文字に直接触れている感じがするのと、「たくさん持ち歩けない」というのが逆にいいなと思っています。「この本!」と決めたら、しばらくはその1冊に向き合いたいからです。
家の本棚には、人生のピンチを救ってくれた本がたくさん並んでいます。例えば吉本ばななさんの小説の中には、いつかとても哀(かな)しいことがあったときに読もうと、未読のままとってある作品もあります。
本は今、人生に寄り添ってくれるお守りのような存在になりました。
「なぜ、本にはこんなに力があるんだろう?」
自分が著者という立場になったとき、その秘密に少しだけ触れられた気がしました。当たり前のことですが、2時間で読める本が2時間で作られているわけではありません。
本は著者だけでなく編集者、校正担当者、デザイナーなど、さまざまな人たちの「こうすればもっとよくなる」をくぐり抜けて、私たちの手元にやってきます。そこには何らかの魂が込められている気がします。
また時に、著者は命がけで原稿に向かっています。
私は自分が本を書くことになったときに、ある作家さんに教えてもらった「針山のお話」を思い出しました。「どんなふうに執筆されているのですか?」という質問に対して、その作家さんはこう答えたのです。
「真っ暗な場所に、おびただしい数の針が落ちていて、その中から1本ずつ〝ほんとうの針〟を探していくような感じです。暗闇なので、それが〝ほんとうの針〟なのかどうかを見極めるのは非常に困難な状況で、そんな中『これだ!』と思った針を見つけられたら、それを地面に刺すんです。執筆って、そうやって自分だけの針山を作っていくような作業なんです」
それが〝ほんとうの針〟なら、その上を裸足(はだし)で歩いてもなんともないのですが、〝ニセモノの針〟なら、その上を歩いた途端血が流れて、自分自身が傷ついてしまうのだとか…。
勘のいい人ならもう気づいたかもしれませんが、この針というのは「言葉」の比喩です。自分が綴(つづ)った文章が〝ほんとうの言葉〟かどうかを常に試されるのです。
もちろん、すべての本がそのように書かれているわけではありません。でも、大学時代に私を救ってくれた本たちは、やはりそのようにして生まれたのではないかと思うのです。
だから私も自分が本を書くときには、自分だけの針山を築くために何度も血を流して言葉を突き詰めていきました(特に「贈りもの」という漫画家さんのインタビュー本を書いたときは、大げさではなく、死ぬかと思いました)。
本は、人が選び抜いた言葉を写し取ったものです。それは、書かれた時点で固定したモノになって動かなくなります。つまり、言葉が文字になって本になるということは、永遠の命を与えられたようなものなのです。
私たちは読書を通して、今は亡き人の言葉に触れることもできます。時を超えて、著者と2人きりの濃密な時間を過ごすことができます。
この世に、色あせない友情、終わらない蜜月、変わらない尊敬があるとしたら、それは本と寄り添う時間の中にあるのかもしれません。
【金益見(きむ・いっきょん)】神戸学院大人文学部講師。博士(人間文化学)。1979年大阪府生まれ。大学院在学中に刊行した「ラブホテル進化論」で橋本峰雄賞を受賞。漫画家にインタビューした「贈りもの」、「やる気とか元気がでるえんぴつポスター」など著書多数。
2017/4/12