堀内正美・運営委員長に聞く
阪神・淡路大震災を刻んだ碑は被災地に二百三十以上を数える。神戸・東遊園地にある、犠牲者の名を連ねた「慰霊と復興のモニュメント」は訪れる人が絶えない。連載の最終回は、堀内正美・同モニュメント運営委員長に碑の意味を聞いた。
◆
-被害の大きかった地域に多い
震災後のお彼岸のころ、焼けただれた町にお花が手向けられ、ビールやジュースが供えられていた。故人への思いを込めた行為だったが、第三者にも強く語りかける光景でもあった。個人的な祈りと、他者への発信を併せ持ったモニュメントの原点だろう。
-なぜ、必要なのか
被災者の痛み、悲しみ、苦しみは、時間の経過とともに、とげとげしい部分が取れ、思い出になっていく。それは癒やしであり、必要なことだ。だが、町が美しく再建される中で、記憶をひもとくきっかけがなくなってしまう。都市には記憶を呼び覚ますスイッチがいる。記憶を途絶えさせない装置にしようと、モニュメントマップや交流ウオークを続けてきた。
-交流ウオークには遺族だけでなく、多くの市民が参加し、震災や命の大切さを学んでいる
慰霊や鎮魂の意味はあるが、今を生きる人たちの碑でもある。震災をくぐり抜け、被災者は“生かされている”と感じた。碑には「ありがとう」「絆(きずな)」「仲間」など生きていることを感謝する言葉が多く刻まれ、人と人のつながりの大切さを伝えている。
日常には、「まさか地震に遭うなんて…」の「まさか」が山積し、出番を待っている。家族を亡くしたご遺族が一番痛感されている。いつ、どこで何が起こるか分からない。そのことをご遺族は伝えたいと思っている。
-震災から十年が過ぎた。碑は増え続けている
「慰霊碑」「追悼碑」などと刻まれているものの、その地域に何が起きたのか記していないものが多く残念だ。被災の事実が刻まれていれば、三十年、四十年たった後も親が子どもに語り継ぐことができる。今後作られる方にはこうした記述をお願いしたい。町の中にさりげなくあるモニュメントが好きだ。通りがかった住民が、ご近所の人に会釈でもするように、碑に頭を下げる光景を見かける。これだと思う。住民の意識の中に入り込み、暮らしに溶け込んだ存在であってほしい。
(聞き手・中部 剛、写真・峰大二郎)
=おわり=
2005/3/3(33)伝える 慰霊と復興のモニュメント(神戸市中区)2005/3/3
(32)同胞 神阪中華義荘(神戸市長田区)2005/2/24
(31)共に生きる カトリック鷹取教会(神戸市長田区)2005/2/17
(30)母の思い 甲橋(神戸市灘区)2005/2/10
(29)祈念石 石手寺(松山市)2005/2/3
(28)クスノキ 御蔵南公園(神戸市長田区)2005/1/27
(27)わすれない 精道幼稚園(芦屋市)2005/1/20
(26)寅さん 「男はつらいよ」ロケの記念碑(神戸市長田区)2005/1/15
(25)崩れた鳥居 郡家の復興住宅(津名郡一宮町)2005/1/14
(24)学びやの鐘 高木小学校(西宮市)2005/1/13
(23)復興とは 大蔵海岸公園(明石市)2005/1/12
(22)追悼 西宮震災記念碑公園(西宮市)2005/1/11
(21)姉妹盟約 魚崎町協議会(神戸市東灘区)2005/1/6
(20)煙突 萌黄の館(神戸市中央区)2004/12/23
(19)鉄道員 JR六甲道駅(神戸市灘区)2004/12/16
(18)タイムカプセル 砂防公園ゆずり葉緑地(宝塚市)2004/12/9
(17)下町 日吉町ポケットパーク(神戸市長田区)2004/12/2
(16)見守るハト 明石銀座商店街(明石市)2004/11/25
(15)花畑 地すべり資料館(西宮市)2004/11/18
(14)望郷 市営岩岡住宅(神戸市西区)2004/11/11
(13)父の原点 阪急伊丹駅(伊丹市)2004/11/4
(12)サイン 中突堤中央ターミナル(神戸市中央区)2004/10/21
(11)神戸の壁 しづかホール(津名郡津名町)2004/10/14
(10)ドラム缶の鐘 西法寺(芦屋市)2004/10/7
(9)合掌 信行寺(神戸市須磨区)2004/9/30
(8)リンゴの木 樋ノ口小学校(西宮市樋ノ口町2)2004/9/23
(7)馬場さん 県立明石公園(明石市)2004/9/16
(6)観音像 田中鉄工所(神戸市東灘区)2004/9/9