「よく、歩いていったもんです」。そんな言葉を耳に、阪神電鉄西宮駅を北へ向かった。雨上がりの午後。澄みわたる空に、白い雲が浮かぶ。
目指すは、震災記念碑公園。西宮市内の犠牲者や他市で亡くなった人たち計千八十二人の名が刻まれている。
万葉苑筋の坂を上り、城山町で左に曲がるとニテコ池。その東、桜の名所としても知られる満池谷にその碑はあった。
あの日、父母を失った福井千恵子さん(50)は、夫の介護と五人の子育てに追われていた。「これから親孝行を」。その矢先の大震災。やりきれず、酒量が増えた。
酒が入ると、父母への思いが募り公園に足が向いた。胸の内を聞いてほしくて、碑に抱きついては泣いた。今はヘルパーとして働き、子どもも巣立った。「きっと両親も安心したでしょう」
追悼之碑は阪神・淡路大震災の三年後に建てられた。一通の手紙がきっかけだった。
田坂喜章さん(79)は、一人娘の佐和子さん=当時(36)=を亡くした。「無念だったろう。安らかに眠れない。ぜひ慰霊碑を」と馬場順三市長(当時)に懇願した。
碑を造る際、配慮がなされた。身重の妻を失った男性は「生きたあかしを」と望み、母の名に寄り添うように「胎児八ヶ月」と刻まれた。祖父母と孫の三人が犠牲になった家族は「かわいがってくれた祖父母の間に」と願い、孫を挟んで並ぶ。
一人ひとりの名前は、冬の陽光を浴び、黒御影石から白く浮き上がる。
祭壇には、花束やおもちゃが供えられている。そっと名前をなぞる人がいる。今年も、「あの日」が巡ってくる。
(記事・小西博美、写真・大山伸一郎)
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