神戸市東灘区、阪神電鉄石屋川駅の北側。住宅街の路地を、子どもたちが走り回る。一見変わらない下町の光景も、「あの日」を境に大きく姿を変えた。
震災で、この地域の住宅は広い範囲で倒壊。火の手は瞬く間に周囲を焼き尽くし、崩れた建物の下で助けを待つ人の命をものみ込んだ。
阪神電鉄の高架近くで鉄工所を経営する田中稔さん(80)は、今でも、住宅のあった一角を歩くたびに心の中で手を合わせる。田中さんのあの日の記憶は、十年近くを経た今も生々しい。
火が出たのは何時ごろだったか。その時の光景は頭から離れることはない。
火が迫る住宅街に駆け付けたとき、建物の下から少女の手が見えた。そばにいただれかがつぶやいた。「だんじりに来とった子と違うか」。法被を着て、御輿(みこし)の中で元気よく鉦(かね)をたたいていた女子中学生の姿が脳裏をよぎった。
倒壊した建物が道をふさぎ、消防車は入れず、肝心の水もなかった。「助けてやりたくても、熱で近寄ることもできん。ただ見ているだけだった」と振り返る。
悔しさ、罪悪感。それは、何カ月たっても消えなかった。「あまりのむごさに、神も仏もいないのか、と思った。でも、何かであの子の供養をしてあげたくて…」
震災一年後の一九九六年一月十七日、田中さんはロープを命綱に、鉄工所の壁に高さ約三メートルの観音像を塗料で描いた。
わずか二日間で一気に描き上げたという像は、素人目にも美しい顔立ちとはいえない。だが、表情は優しさと人間味にあふれる。それは、どんなに麗しい仏像よりも、強いメッセージを伴って、伝わってくる。
(記事・切貫滋巨、写真・三浦拓也)
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