JR六甲道駅南口を出たあたりに、銀色の碑が立っている。高さ一・五メートル。スマートだが、控えめな存在感。しかし、この碑には、不眠不休で復旧作業を進め、全線開通にこぎ着けたJR西日本の喜びや復興への熱い思いが詰まっている。
一九九五年一月十七日朝、当時駅長だった中尾智俊さん(59)は姫路市内の自宅にいた。揺れの直後、駅に電話した。当直の助役が叫んだ。「駅長さん、えらいことじゃ。天井が落ちて、空が見える。周りは火事や」
中尾さんは、ミニバイクで家を飛び出した。何度も回り道しながら、駅に着いたのは午前十一時半。線路は波打ち、駅舎は崩れ、高架を支える柱は曲がっていた。目を疑うような光景。ぼう然と見詰めるしかなかった。
代替バスの運行が始まり、駅員は毎日、早朝から案内に立った。被災した地元住民が、「ご苦労さん」と声を掛け、温かいお茶を差し入れてくれた。「一日も早く開通を」。何度も思った。
四月一日、住吉-灘間の運転が再開した。大震災から七十四日ぶりだった。中尾さんは、始発の普通電車をホームで待った。西の方向に前照灯の光が見えた。「はよ、こっち来い」。心の中で手招きした。「おめでとう」。乗客が声を掛けてくれた。涙があふれた。
碑は一年後にできた。神戸の街と海をレールがつなぐデザイン。のぞき込むと、ステンレスに映るレールが、遠くまで続いているようだ。「お客さんの足が永遠に途切れないように」。デザインを手掛けた社員の北隅耕三さん(43)が込めた思いだ。
鉄道はライフライン。それを守る鉄道員のプライドが伝わってきた。
(記事・中島摩子、写真・山崎 竜)
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