橋の欄干に、花束が手向けてあった。
神戸市灘区の都賀川をまたぐ甲橋(かぶとばし)。一九九二年の完成。現場監督として建設に携わった藤本直人さんは、阪神・淡路大震災で全壊した自宅の下敷きになり、亡くなった。二十三歳の若さだった。
川の堤には枝を伸ばした桜。春になると、風に吹かれてこの橋に花びらが舞うのだろう。
東灘区に暮らす母、東美子さん(61)を訪ね、一月十七日に供えた花束だと知った。東美子さんは言った。「川床から見上げるこの橋の姿が好き。優しい感じがして」
一月十七日、いつものように見上げると、橋の後ろに太い鮮やかな虹がかかった。「直ちゃんが『お母さん、ありがとう』と言ってくれているのかなって」
直人さんは「きれいな橋ができた」と喜んでいた。欄干の端には、ステンドグラス風のカラフルなガラスで海の中や花がデザインしてある。日が差すと、まぶしく輝く。
東美子さんは週に何度も通り、橋を掃除する。人が楽しそうに通ると、自分までうれしくなってくる。「直ちゃんが生きた証し。一人でもたくさんの人に通ってもらい。こんな橋があるのだと知ってもらいたい」
だが、こんなふうに思えるようになったのは最近のこと。長い間、息子の死を受け止め切れなかった。家族全員が倒壊家屋に埋まったが、「私よりも直人を先に救出してくれれば助かったのに…」と自らを責め続けた。
震災後、同じ境遇の遺族と語り合い、癒やされた。東美子さんは、体よりも大きなセーターを着込んでいた。直人さんのセーターだった。
(記事・中部 剛)
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