宝塚市内を一望できる高台に御影石の碑が悠然と立つ。「鎮魂之碑」と記された石の上には、「悟り」の意味を持つ丸い石。取り囲むように、志半ばで亡くなった人たちを表す九本の黒い石が並び、両親の腕を思わせる高さ六メートルの白い石が四本、空に向かって伸びる。静かな公園で、その存在感はひときわだ。
同市では震災で百十八人が犠牲になり、二千人以上が負傷した。家屋の全半壊は一万二千棟を超えるなど大きな被害を受けたが、市内に犠牲者の魂を鎮める碑がなかった。
震災から一年後、宝塚ライオンズクラブの呼び掛けで市内外の八百五十人が寄付し、碑の制作が始まった。御影石を発注した徳島県の石材店は利益を考えず、原価で仕事を引き受けた。当時、同クラブの会長だった佐野行俊さん(63)は「碑が被災者の心のよりどころとして、市民に伝わればうれしい」と話す。
一方、子どもの素直な目で見た被災地を記録しようと、九七年四月の完成から一カ月後、碑の地下に「十年後」と「三十年後」のタイムカプセルが埋められた。
当時の小学生が震災から十年後の街を思い描いた「復興夢作文」や壊滅的な被害を受けた地域の復興予想図など十七の作品が眠る。震災十年を迎える来年一月、「十年後」のカプセルが開封され、「あの時」の子どもたちの夢がよみがえる。
当時、宝塚小六年で作文を書いた田中千恵さん(20)は現在、鹿児島大学で歯科医療を学ぶ。「あの日、まちの変わりように腰が抜けて歩けなくなった。プレハブの校舎で学んだ日々。十年前の自分に会いたい」と、“再会”を心待ちにしている。
(記事・塩田武士、写真・大山伸一郎)
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