「類焼とめて 尚生き残る 楠の大木」
句に誘われるように、御蔵南公園を訪れた。幹の半分が焼け焦げた二本のクスノキがあった。
「木は熱くて、痛くても、逃げられんかった。でも、ずたずたになりながら生きとるんです」。御蔵五、六、七丁目町づくり協議会の田中保三さん(64)は、この地を訪れる人に語り続ける。
同地区は震災で約八割が全焼した。十年前のあの日、地区北側で発生した火事は、公園南側の工場に燃え移った。冒頭の句を詠んだ鈴木八重子さん(78)は、恐怖におびえながら、一晩中、炎を見詰めた。明け方。焼け残ったのは数軒の家と、クスノキの北側にあった自治会の物置だけだった。
鈴木さんは避難所や仮設集会所でボランティアに取り組んだ。経営する工場も再開したが、不況と高齢で三年で閉じた。復興区画整理事業のため家も移る必要があった。気分を紛らわすように、がれきに花壇をつくり、花を植え続けた。
三年前、鈴木さんは田中さんに誘われ、クスノキの前に立った。「生きとったんや」。大きく広がった枝を見詰めた。駆け足で過ぎた月日。句はすうっと浮かんだ。
「震災前はご近所さんといっても他人だった。今では友人かきょうだいのよう」
今も更地が残る。住民の七割が入れ替わった。まちづくりをめぐる住民の意見の対立もあった。
炭化した樹皮の境目にそっと触れた。新しい組織が盛り上がる。焼けた幹を守るように残った枝が伸びる。順調なら約四十年で完治するという。そのころには、この町の傷も少しは癒えているだろうか。
(記事・広畑千春、写真・山崎 竜)
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