明石駅前のメーンストリート「銀座通り」。買い物客が行き交う国道沿いの商店街の一角に「兵庫県南部地震を偲(しの)ぶ碑」がある。周辺に当時を思い起こさせるものはない。
高さ八十センチ、幅百二十センチの球状をした三本足の台座。その上にハトの像が座っている。碑の前で足を止める人はほとんどなく、台座のハトも心なしか寂しそうだ。
碑の地下には、震災当時の新聞記事や記録などが入ったタイムカプセルが埋められており、五十年後の開封のときを待つ。
明石市民二十六人が市内外で犠牲になった大震災。それから三年後の一九九八年三月十七日、同市高年クラブ連合会が、全国各地の高年クラブなどから届けられた義援金で碑を建立し、市に寄贈した。
実は義援金の使い道はなかなか決まらなかったという。「被災者に分配するという案もあった」と当時の会長、橘賢次さん(88)は振り返る。議論の末、「地域全体に役立つ活動を」というクラブの理念に基づき、「記憶を風化させず、感謝の気持ちを忘れずに、震災を後世に伝えるために」と碑を建てることになったという。
三本足の台座は、同連合会のモットー「健康、友愛、奉仕」の支えあいを表現している。毎月十七日には、地元・桜町高年クラブの人たちが清掃しているため、碑は常にきれいに保たれている。
ハトの視線の先には、あの瞬間、針を止めた市立天文科学館のシンボル、大時計がある。「二度と止まることがないように」。ハトが見守っている。
(記事・写真 後藤亮平)
2004/11/25(33)伝える 慰霊と復興のモニュメント(神戸市中区)2005/3/3
(32)同胞 神阪中華義荘(神戸市長田区)2005/2/24
(31)共に生きる カトリック鷹取教会(神戸市長田区)2005/2/17
(30)母の思い 甲橋(神戸市灘区)2005/2/10
(29)祈念石 石手寺(松山市)2005/2/3
(28)クスノキ 御蔵南公園(神戸市長田区)2005/1/27
(27)わすれない 精道幼稚園(芦屋市)2005/1/20
(26)寅さん 「男はつらいよ」ロケの記念碑(神戸市長田区)2005/1/15
(25)崩れた鳥居 郡家の復興住宅(津名郡一宮町)2005/1/14
(24)学びやの鐘 高木小学校(西宮市)2005/1/13
(23)復興とは 大蔵海岸公園(明石市)2005/1/12
(22)追悼 西宮震災記念碑公園(西宮市)2005/1/11
(21)姉妹盟約 魚崎町協議会(神戸市東灘区)2005/1/6
(20)煙突 萌黄の館(神戸市中央区)2004/12/23
(19)鉄道員 JR六甲道駅(神戸市灘区)2004/12/16
(18)タイムカプセル 砂防公園ゆずり葉緑地(宝塚市)2004/12/9
(17)下町 日吉町ポケットパーク(神戸市長田区)2004/12/2
(16)見守るハト 明石銀座商店街(明石市)2004/11/25
(15)花畑 地すべり資料館(西宮市)2004/11/18
(14)望郷 市営岩岡住宅(神戸市西区)2004/11/11
(13)父の原点 阪急伊丹駅(伊丹市)2004/11/4
(12)サイン 中突堤中央ターミナル(神戸市中央区)2004/10/21
(11)神戸の壁 しづかホール(津名郡津名町)2004/10/14
(10)ドラム缶の鐘 西法寺(芦屋市)2004/10/7
(9)合掌 信行寺(神戸市須磨区)2004/9/30
(8)リンゴの木 樋ノ口小学校(西宮市樋ノ口町2)2004/9/23
(7)馬場さん 県立明石公園(明石市)2004/9/16
(6)観音像 田中鉄工所(神戸市東灘区)2004/9/9