大輪田橋。兵庫運河に架かる、重厚で瀟洒(しょうしゃ)なアーチ状の橋。欄干から身を乗り出して下をのぞき込むと、石造りの四角い柱が沈む。びっしりと付着した貝や藻が、十年の歳月を物語る。
架設は一九二四(大正十三)年。欄干の四隅にあった飾り柱は、激震ですべて崩れ落ちた。水に沈んだのはその一つ。別の一つは修復され、橋の北東にモニュメントとしてよみがえった。
実は、飾り柱はがれきとして処分されそうになった。だが、愛着を持つ住民らの要望で近くの薬仙寺が保存し、難を逃れた。また、破片を集め、別のモニュメントも境内につくられた。
橋の近くで生まれ育った竹内公富さん(66)は「運河のシンボル。ただの橋ではない」と言う。一九四五年三月十七日の神戸大空襲。水を求めた多くの人々が橋上で命を落とした。欄干には焦げた跡が残る。橋は、空襲の「生き証人」でもある。
毎年三月、神戸空襲を記録する会が、慰霊碑がある同寺で開く慰霊祭。三十三回目の今年、初めて参加する年配の男性の姿があった。理由を尋ねると、こう答えたという。「空襲のことは忘れようとしてきた。でも残る人生がわずかになり、区切りをつけたくなった」
男性は家族を亡くした大輪田橋の近くで祈りの場を探した。そして慰霊碑と、そこで開かれる慰霊祭に行きついた。
モニュメントには、犠牲者の名が刻まれているわけでも、花が供えられているわけでもない。それでも訪れる人はいる。
声高には主張しないが、二つの災禍の記憶を刻み続ける橋。震災十年。それは、戦後六十年の節目でもある。
(記事・中川佳男、写真・岡本好太郎)
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