しゃれた街灯、真っすぐに伸びる道路。真新しい住宅が立ち並ぶ整然とした街並みから、あの日の惨状を想像することは難しい。
神戸市灘区琵琶町一、二丁目。七割の住宅が全半壊し、町はがれきで埋め尽くされた。十二歳から八十九歳までの六十一人が犠牲になった。復興住民協議会会長としてまちづくりに取り組んできた若林俊夫さん(80)を訪ねた。
若林さんの家も一階が完全に押しつぶされた。数年前に転居し、荷物しか置いていなかったため助かった。だが、向かいの家は崩れ、前日まであいさつを交わしていた隣人は亡くなった。
生き残った者の使命と感じたのか、若林さんは再建の旗振り役となった。「一日も早く、一人でも多く」を合言葉に、市が進める区画整理事業への協力を住民に説いた。
四百九十四世帯が暮らしていた。高齢者が多く、早く事業を終える必要があった。震災後の一年間で、震災を生き抜いたお年寄り十二人が亡くなった。待てずに再建をあきらめた人もいた。
二〇〇二年、区画整理事業が完成、琵琶町公園に慰霊碑を建てた。円形と三日月の形。月の満ち欠けを表し、終わりのない「永遠」を象徴する。
満月の石碑に刻まれる六十一人の名。「一人も漏らさないことにこだわった」と若林さん。東京から山口まで全国に散らばる遺族と連絡を取り、記名の承諾を得た。あの日から七年を経て、「わが町」に迎え入れることができた。
住民の世話で、慰霊碑には、花が絶えることはない。強い夏の日差しを受けた色鮮やかな花々が目に飛び込んできた。
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阪神・淡路大震災後、各地に碑(モニュメント)がつくられた。その数、二百三十を超す。犠牲者を悼み、街の復興を見守り続けてきた、碑が語る被災地の十年。そのつぶやきに耳を澄ました。
(記事・中部 剛、写真・藤家 武)
2004/8/5(33)伝える 慰霊と復興のモニュメント(神戸市中区)2005/3/3
(32)同胞 神阪中華義荘(神戸市長田区)2005/2/24
(31)共に生きる カトリック鷹取教会(神戸市長田区)2005/2/17
(30)母の思い 甲橋(神戸市灘区)2005/2/10
(29)祈念石 石手寺(松山市)2005/2/3
(28)クスノキ 御蔵南公園(神戸市長田区)2005/1/27
(27)わすれない 精道幼稚園(芦屋市)2005/1/20
(26)寅さん 「男はつらいよ」ロケの記念碑(神戸市長田区)2005/1/15
(25)崩れた鳥居 郡家の復興住宅(津名郡一宮町)2005/1/14
(24)学びやの鐘 高木小学校(西宮市)2005/1/13
(23)復興とは 大蔵海岸公園(明石市)2005/1/12
(22)追悼 西宮震災記念碑公園(西宮市)2005/1/11
(21)姉妹盟約 魚崎町協議会(神戸市東灘区)2005/1/6
(20)煙突 萌黄の館(神戸市中央区)2004/12/23
(19)鉄道員 JR六甲道駅(神戸市灘区)2004/12/16
(18)タイムカプセル 砂防公園ゆずり葉緑地(宝塚市)2004/12/9
(17)下町 日吉町ポケットパーク(神戸市長田区)2004/12/2
(16)見守るハト 明石銀座商店街(明石市)2004/11/25
(15)花畑 地すべり資料館(西宮市)2004/11/18
(14)望郷 市営岩岡住宅(神戸市西区)2004/11/11
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(12)サイン 中突堤中央ターミナル(神戸市中央区)2004/10/21
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(10)ドラム缶の鐘 西法寺(芦屋市)2004/10/7
(9)合掌 信行寺(神戸市須磨区)2004/9/30
(8)リンゴの木 樋ノ口小学校(西宮市樋ノ口町2)2004/9/23
(7)馬場さん 県立明石公園(明石市)2004/9/16
(6)観音像 田中鉄工所(神戸市東灘区)2004/9/9