「旧魚崎町」は、神戸市東灘区の魚崎地区と甲南町の一部からなる。阪神・淡路大震災では、近くで阪神高速道路が倒壊し、激しい揺れが住民を襲った。
慰霊碑と犠牲者二百六人の名前を刻んだプレートが、魚崎小の近くに立つ。住民らでつくる、魚崎町協議会の粉谷勝巳副会長(64)に話を聞いた。
大震災の朝、粉谷さんは自宅の二階から、道路に飛び降り、がれきの山となった一帯で、救出活動に奔走した。
「すぐ裏に住んでいた夫婦、道を越えたところの十九歳の若者、いつもあいさつをしてくれた小学生も亡くなった」。今も無念さがにじむ。
慰霊碑建立に動いたのは、旧魚崎町地区の住民だけではない。実は、遠く離れた鳥取県江府町がかかわっている。
魚崎町協議会と江府町は、一九四五年に「魚崎国民学校」の児童百十八人が疎開した縁で、以前から交流があった。
震災翌日。同町はトラックで約十時間かけ、食糧や毛布を届けた。避難所に響いた「江府町から来ました!」という大きな声。粉谷さんらは同町住民の手を取り、涙が止まらなかったという。
同町からは多くの見舞金も寄せられた。使い道を考えた結果、慰霊碑の建立を決めた。
碑は九六年に完成。二〇〇〇年には「姉妹盟約」を結んだ。鳥取県西部地震では粉谷さんらが同町に駆けつけた。
四年半前、碑のそばに、住民が集う「魚崎わかばサロン」ができた。
「震災の記憶と二つの地域の絆(きずな)を、後世に伝えたい」と粉谷さん。固いきずなを表すように、碑はどっしりと鎮座していた。
(記事・中島摩子、写真・三浦拓也)
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