真新しい住宅と幅広い道路に挟まれた寺に、目指す地蔵尊はあった。アスファルトの境内に鎮座し、左腕に子供を抱える。「子をあやすような柔らかい表情だからか、不思議と地域の子どもが集まるんですよ」。藤谷信道住職(54)が笑う。
芦屋市は震災で四百人以上が犠牲になった。寺のある市西部は最も被害が大きく、住宅の九割が全半壊。今春、ようやく復興区画整理事業の仮換地指定が終わった。
「二歳にもならない男の子でね、よく地蔵の前で手を合わせてました」
最初、母親(42)と訪れていた男児=当時(1つ)=はその後、一人でも姿を見せるようになり、じっと地蔵を見詰めていたという。男児は、あの日、母と眠っていて、崩れた天井の下敷きになった。
寺も本堂と庫裏が全壊した。十三重の護国念仏塔は倒壊し、境内の子安地蔵も台座から吹っ飛んだ。負傷者の救出に駆け回っていた藤谷住職に、男児の両親が申し出た。
「この子が好きだった地蔵の前で葬儀をできないか」。約一カ月後、がれきで埋まった境内に八畳ほどのスペースを設け、葬儀が営まれた。
一九九七年十二月、割れ残った十枚の石板を使って、石塔が再建され、「いのちの塔」と名付けられた。由来文には「命を失った人々や小さな生き物たちの死を悼み、体験を子に孫に語り継ぐ」と記されている。
この夏も、地蔵盆祭が開かれ、地蔵の前には、震災後に生まれた子どもたちが次々と線香を手向けた。「また来年ね」。帰省中の家族が顔見知りに声を掛ける。夜空には、子どもたちの名前が書かれた五十の提灯(ちょうちん)が揺れていた。
(記事・写真 和田和也)
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