新型コロナウイルス感染症の脅威により、世界中の人々が不安を抱えている。多くのメディアは連日、感染者数や死者数を伝え、国民もその動向を注視している。この脅威はやや複雑だ。感染拡大予防対策として、人々は他者と一定の距離を取ること、人の集まる場所へ行くのを避けることが求められている。こうした他者との接触機会の著しい減少は、人にとって社会的孤立という別の脅威をもたらす。
社会心理学では人を社会的動物として捉える。これは人が社会関係の中で生きていることを意味するが、それゆえ、人は他者とのつながりを築き、維持したいという欲求を持つ。この欲求が満たされないとこころの痛みが生じ、それが持続することで人々の健康上のリスクを高めることも知られている。
コロナ禍はまさしくこの欲求の満たされない状況が続く。感染予防対策である人の命を守るための行動制限措置が、社会的孤立の脅威を生じさせ得るという、なんとも歯痒(がゆ)い状況である。そのため、感染症自体への対策同様、人のこころに付随した社会問題へのアプローチも喫緊の課題といえる。
■こころの痛みの可視化へ
しかし、人のこころは見えない。こころの痛みも同様である。心理学者はこれまで多様な実験・調査手法により、こころの状態を捉え、その働きをモデル化しようと試みてきた。社会的孤立に関していえば、ある人が実際に社会的孤立の脅威に悩まされているかどうかを判定することが出発点である。
だが、多くの場合、本人の主観報告に依存するため、たとえこころの痛みが生じていても、その人が寂しい、つらいと自己報告しない限り、社会的孤立で苦しんでいるとは判定しにくい。要するに、従来の心理学的手法だけでは、こころの痛みのサインを把握しきれないという問題がある。
この限界を乗り越えるため、私は脳の働きに着目し、研究を進めている。研究で使用するMRI装置は、通常の医療診断に用いられる装置と同じものだ。これにより、人が社会的孤立の状況に陥った際、どのような脳の反応が生じるのか客観的なエビデンスを得ることが可能である。
同様の試みは既に海外の研究者も行っているが、社会的孤立によってある特定の脳領域の活動が高まることが、私の研究でも確認された。それは前部帯状回と島皮質と呼ばれる脳領域であり、“痛み”の処理に深くかかわる脳領域だ。まさしく、こころの痛みである。こうしたエビデンスに基づき、われわれは社会的孤立の状況で生じる心的苦痛を社会的痛みと呼んでいる。こころの痛みの可視化への第一歩である。
■生体情報を活用しリスク予測
先述したように、社会的孤立は人に悪影響をもたらす。健康上のリスク、自殺のリスク、その影響は実に多様であり、どれも深刻だ。こうしたリスクを事前に予測することは現状難しいといわざるを得ない。しかし、望みはある。脳を中心とした人の生体情報の活用である。これらの膨大な情報は、こころの状態の微細な変化を捉える情報となり得る。そして、何といっても予測に欠かせないのは機械学習である。
近年、機械学習が注目を浴びている。機械学習の主要な特徴は、膨大な情報から最適解を導き出す点にある。現代ではその活用例が豊富であり、天気予報、スマートフォンの顔検出など、日常のさまざまな場面で応用されている。社会的孤立のリスクの予測にこれを使わない手はない。
特に予測の鍵となるのは情報量である。豊富な情報がなければ、リスクを精度良く予測できない。生体情報には、その情報が有り余るほどある。そのため、社会的孤立のリスクの予測を可能にさせるのは、従来の心理学的手法で得られる主観報告だけでなく、生体情報をも活用した豊富な情報への機械学習の応用であると私は考える。
「心理学は文系ですか? 理系ですか?」
これは以前、私が心理学の講義をしている際に、学生から受けた質問である。日本は歴史的に心理学の講座が文学部や教育学部に位置付けられることが多く、世間一般の“文系”というイメージが当てはまる。しかし、そうした垣根は本質的な意味を持たないのかもしれない。
こころの痛みの可視化、社会的孤立のリスクなど、複雑なこころの問題を単一分野や領域の手法で捉え、解決することは限りなく不可能に近い。むしろ、神経科学、情報学といった周辺分野の技術を応用することで、こころの実体を抽出することが可能になることもある。幸いなことに、心理学周辺の分野には人のこころに関心を持つ研究者が多い。学際融合的アプローチにより紡ぎだす新たな人間理解がいま求められている。
【やなぎさわ・くにあき】広島大学大学院修了。専門は社会心理学、社会神経科学。京都大学こころの未来研究センター特定講師を経て、2020年10月から現職。
<ブックレビュー>
◆排斥と受容の行動科学-社会と心が作り出す孤立 浦光博著(サイエンス社)
社会的孤立は、その人の健康リスクを高める。なぜ、そのようなリスクは高まるのだろうか。これまでの社会心理学の研究成果に基づき、その心理メカニズムについて、分かりやすく解説する。
◆21世紀の脳科学 人生を豊かにする3つの「脳力」 マシュー・リーバーマン著、江口泰子訳(講談社)
リーバーマンと彼の妻であるナオミ・アイゼンバーガーは、このエッセーで触れた社会的痛みの神経基盤を初めて発見し、Science誌で報告した。この書籍では、社会性にかかわる脳機能について、初学者でも分かりやすく学ぶことができる。
<P.S.>人類史上初の経験
私の研究分野では、他者や地域との接触がほとんどない状態は、人のこころに負の側面をもたらすという研究成果が多数存在します。若い世代を対象としたいじめの問題、高齢者を対象とした孤独死の問題など、その問題も多岐にわたります。コロナ禍の生活も社会的孤立の状態に当てはまるのですが、極めて特殊な例とも考えられます。なぜなら、これだけ多くの人が同時に社会的孤立に陥ることは人類史上初めての経験です。私自身、一人で過ごす時間が増え、こころと社会の関係について改めて考えさせられます。
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