神戸大学から見下ろす景色は、どことなくギリシアの首都アテネを想(おも)わせる。アテネ中心部にはひときわ高いアクロポリスの丘があり、パルテノン神殿が鎮座している。隣にはプニュクスの丘。ここでは古代民主政の根幹を担う市民集会が開かれていた。建物の佇(ただず)まいや樹木の様子など異なるところは多いものの、山(丘)を背にして遠方に目を向けると、いずれも眼下には賑(にぎ)やかな街並みが広がり、港が見え、さらに向こうには穏やかな海が陽光に煌(きら)めいている。
紀元前5、4世紀、世に知られた古代民主政を担っていたのは、この地で生まれたアテネ市民(男性)であった。これら「市民」はどのように民主政を築き、いかにして喪失したのか。民主政下の「市民社会」とは、いかなるものであったのか。西洋古代史の研究者たちは、これまでこうした問題に取り組んできた。しかし、港町アテネは、神戸と同様、古来、多様な人々を受け入れてきた。こうした共存の現実には目もくれず、ただ市民ばかりの社会を思い描くとすれば、それはいささかリアリティーを欠いた絵空事と言わざるを得ないのかもしれない。
アテネやその外港ピレウスにある博物館を訪ね歩けば、2千年以上前に近隣のギリシア都市、あるいははるか彼方(かなた)から来訪し、この地で亡くなった人々の墓碑をいくつも目にすることができる。出身地は広範に及び、黒海沿岸や小アジア(現トルコ)、キプロス島やフェニキア地方(現レバノン)の出身者もいた。ギリシア系以外の者も相当数に上る。短期の滞在を繰り返す者たちもいた。現在のエジプトや南イタリア、シチリア島、南フランスからも交易や蓄財などを目的に多くの人々がアテネに来訪した。「グローバル」とは言わないまでも、実に国際色豊かな社会が営まれていた。
■商業上のいざこざ絶えず
紀元前5、4世紀のアテネは、こうした外来の人々を含めた交易商たちの活発な活動によって、たしかに経済的隆盛を極めていた。事実、フクロウ印が施されたアテネの硬貨は、エーゲ海周辺各地から出土しており、当時、周辺地域の基軸通貨のようなものとして機能していた。他方、交易に関連する港湾税や在留外国人税は、おそらくアテネ財政に大きく貢献していた。公共建築事業を推進する際、あるいは直接民主政に参加する市民たちに手当てを支給する際には、これらが重要な財源にもなった。
各地からの輸入品もアテネの生活を彩った。市民の胃袋を何よりも満たした穀物は、黒海沿岸、エジプト、シチリア島などからも輸入された。神殿や艦隊といった建築・建造事業には、マケドニア産木材がかなり用いられた。他にも各地からワインや魚の塩漬け、スパイス、それに羊毛、東方レヴァントからは香油も輸入され、果てはクジャクなどの珍しい生き物が届けられることもあった。異国の遊女が仕事にやって来ることもあれば、商品としての人間、すなわち奴隷も、特に非ギリシア語圏から大量に輸入されていた。
だが実のところ、外来者の流入はアテネ市民にとって良いことばかりではなかった。例えば外来者の中には亡命者、難民もいた。現代の技術をもってしても、厳格な出入国管理は容易とは言えない。当時の事情は推して知るべしというところだろう。アテネ市民になりすます外国人がいるのではないかと懸念を募らせる市民も少なくなかった。市民権詐称疑惑から裁判沙汰になることも度々あった。
また交易が盛んであったがゆえに、商業関係のいざこざも絶えなかった。交易は地中海周辺の多様な地域・文化圏を横断して、中継を挟みながら行われた。その間に誤解が生じ、意思疎通が失敗しても、何ら不思議はない。また戦乱や暴風雨、凶作などから予定通りの商売ができず、出資者と交易商の間でトラブルになり、裁判に発展することも頻繁にあった。
■裁判員制度整備し 交易振興へ
こうしたトラブルを回避するために、現実にはどのような手段が取られたのだろうか。まずは何より契約書をしっかり交わすこと。現代日本ならば、そう考えるだろう。たしかに古代ギリシアでも契約書は重視された。だが契約文書の作成には、たいてい大勢の立会人が必要とされ、裁判沙汰になれば、この立会人たち自身が証人として重要な役割を担った。また、初めての相手と契約を結ぶ際には、しばしば出資者・交易商の共通の知人が両者の仲介役を担った。仲介役はアテネ人の場合もあれば、商人仲間の外国人の場合もあった。円滑な交易には、こうした人間同士の生の付き合い、信頼関係の積み重ねが重要だった。
また法廷で白黒を付けるというのも、現実的な紛争解決策の一つであった。民主政下のアテネでは裁判員制度が発達し、訴訟は市民裁判員によって審理されていた。紀元前4世紀後半には制度に改変が加えられ、交易関連の案件を扱う特別の法廷が設置されることとなった。審理の迅速化を図った措置である。またこの法廷ではアテネ市民だけでなく、外国人にも訴訟を提起する権利が認められた。交易に従事する外国人に便宜を図り、交易振興、そして国庫収入増大を狙って制度改革を実行したというわけである。
しかし、外国人の提訴が容易になったところで、裁判員は相変わらずアテネ市民に限られていた。アテネ人出資者とトラブルを抱えた外国人交易商などは、実際のところ、いかにして裁判員の共感を得ることができたのだろうか。当時の裁判演説をひもとくと、この頃、「(市民・外国人を問わず)商業従事者の利益を守ることは、アテネ市民全体の利益にもつながる」という論法が見られるようになる。逆に言えば、被害者が外国人交易商だからといって不正を放置していれば、他の多くの商人・出資者たちがアテネでの交易を忌避することになり、アテネ市民全体に不利益が及ぶ。そうならぬよう(偏向のない)正しい判決を下すべき。彼らはそう言って、裁判員を務めるアテネ市民に訴えていたのである。財政上の懸念を抱えたアテネ市民の心には、特に響くアピールだったのかもしれない。
歴史研究では過去の世界、自分たちとは異なる歴史上の世界を、平板に理解することなく、史料の内容と質を吟味しつつ、当時のリアリティーを複眼的に想起しながら描き出すことが肝要である。ときに私たちは物事・他者について一面的で平板なイメージを抱いてしまうこともある。そんな誘惑に負けることなく、他者・事象の多様で複雑なリアリティーを丹念に想像することは、現代を生き、未来を育む全ての人間に欠かせない知性・感性ではないだろうか。歴史学の営みも、そうした力を作り出す一助となると信じている。
【さとう・のぼる】1973年宮城県塩釜市出身。東京大文学部卒、東京大大学院人文社会系研究科修了。ロンドン大客員研究員などを経て現職。
〈ブックレビュー〉
◆「歴史の見方・考え方 大学で学ぶ「考える歴史」」 佐藤昇編、神戸大学文学部史学講座著(山川出版社)
現代の歴史学とはどのように思考する営みなのか、具体的事例から平易に語る論考集。日本史、東洋史、西洋史をカバーする。第1章(拙稿)では古代アテネの裁判員制度を扱った。素人の一般アテネ市民は、いかにして自信を持って判決を下すことができたのだろうか。計算に基づく推論と文献史料の読解から考察を試みている。
◆「デモステネス弁論集《西洋古典叢書》全7巻予定」 木曽明子ほか訳(京都大学学術出版会)
古代アテネの民主政や裁判員制度を知るには、前出の論考や橋場弦著「民主主義の源流」(講談社学術文庫)が便利。当時の立法機関である民会や法廷の実態を知るには、デモステネスの弁論集なども興味深い。外交を扱う政治演説から相続、婚姻、けんかなど身近な問題に起因する裁判演説まで、当時作られた弁論(邦訳)が解説付きで読める。
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