私事で恐縮だが、小さな飲食店を1人で営む家族は、コロナ禍により長期間の休業を余儀なくされ、収入が激減した。緊急事態宣言解除後の今も、ニュースに左右される世の中の「雰囲気」に違和感を抱きつつ、厳しい状態を甘んじて受け入れている。
自身について言うと、2月当時、仕事で関わっていた舞台公演が延期。表現や上演方法に頭を悩ませる演劇人たちを応援したくとも、劇場へ足を運ぶこと自体が息を潜めてなされなければならないような抑圧的な状況が今も続く。
4月以降、がらりと変わってしまった日常。そんな中、ある問いが頭に浮かび続けている。
学問と生活の接点は、どこにあるのだろうか--。
実は約220年前の日本、つまり江戸後期にも「普通の生活」が揺らぎ、価値観が変わってゆく様を目の当たりにした人々がいた。
江戸時代における大きな変化といえば、1853(嘉永(かえい)6)年の黒船来航に端を発する大政奉還までの激動が想起されるが、それ以前にも、日本に外国船が接近したことはあった。18世紀末、大航海時代の始まりとともに植民地が拡大されていく世界の動きに危機感を抱いた幕府は、海岸警備を強化するなどの対策をとっていた。
■江戸時代に入ってきた海外の文物
「鎖国」のイメージが強い江戸時代だが、長崎の出島を経由し、海外の文物・情報がもたらされ、人々に新しい世界を見せた。
例えば、象やラクダ、クジャクといった動物が京都や大坂、江戸などで人々の目を驚かせたし、長崎へ出掛けた人が故郷への土産として、ベルベットや更紗(さらさ)といった舶来の珍しい物をたくさん購入した。そんな記録が残っている。
また海外の文物を日本に紹介する書物も刊行された。ただ、オランダ語で説かれた最新の医学や科学などは、奥向きの蘭(らん)方医(外科医)やその周辺の特権的な人物しか触れることができなかった。そんな中、奥外科医を代々営む家に生まれた森島中良(ちゅうりょう)という蘭学者は『紅毛雑話』『万国新話』といった書物の中で、海外の風俗や西洋科学の情報を図解している。これらの図は娯楽作品の素材ともなり、異国情緒が読者を喜ばせた。
黒船がやって来る50~60年前から、少数の為政者の間で、そして市井の人々の間で、海外の情報は危機感や知的好奇心をもって受け入れられていた。大きな時代のうねりがすぐそばまで来ているという“予感”は、水面下で徐々に大きくなり始める。
19世紀初頭、新興都市であった江戸で生まれた文化はいよいよ成熟し、「化政(かせい)文化」と呼ばれる華やかな一時代を築いた。一方で、ますます強くなる“予感”に呼応するかのように、不穏さをはらんだ文芸作品が登場する。
■美人画の妖しく過剰な美
一例を挙げると、1817(文化14)年3月に江戸河原崎座で上演された歌舞伎『桜姫東(あずま)文章』。ヒロイン「桜姫」は深窓の姫君だが、いつの間にか盗賊との間に子をなし、その男にほれて女郎に身をおとす。最後は男とわが子を手に掛ける--。身分の高い姫君が、最下層の女郎にまで転落する趣向は驚くべき鮮やかさだ。一方で、零落した桜姫が覚えたはすっぱな言葉と、抜けきらない姫様言葉をちゃんぽんで使う奇妙な場面などからは、絶対的な価値観が揺らぎつつある、当時の不穏な空気が伝わってくるような気がする。
やがて日本を天保(てんぽう)の大飢饉(ききん)(1833~39年)が襲う。人々が苦しむなか、為政者によって蛮社の獄と呼ばれる言論統制、失敗に終わったとされる天保の改革などが行われ、時代はいよいよ幕末へと動き出す。
この時期に活躍した浮世絵師・歌川国貞(くにさだ)や渓斎英泉(けいさいえいせん)らが描いた美人画は、何とも妖しく過剰な美しさをたたえ、爛熟(らんじゅく)しきった文化、あるいは崩壊間近の社会システムが、表面張力でその形を保っているかのようである。
ところで、国際的に高く評価される現代芸術家6人の軌跡を紹介する「STARS展」(東京・森美術館、7月31日~2021年1月3日)には、十三代目市川團十郎の襲名披露公演の祝幕の下絵として描かれた「2020 十三代目市川團十郎白猿 襲名十八番」(村上隆、20年)が出展されている。実際はコロナ禍の影響で、襲名披露公演は現在まで実現しておらず、行き場をなくした表現の幻影を、思いがけなくも描いてしまったというアイロニーを感じる。
「新しい日常」という奇妙な言葉がどれほど市民権を得ようと、この一年で「揺らいだ」という事実は、決してなかったことにはならない。私たちの足元に潜む“予感”は、どのような未来を導くのだろうか。
【ありさわ・ともよ】大阪大大学院修了。専門は日本近世文学。国文学研究資料館特任助教を経て、2020年10月から現職。
<ブックレビュー>
◆「輪切りの江戸文化史- この一年に何が起こったか?」 鈴木健一編(勉誠出版)
江戸時代の大きな流れをつかめる一書。開幕から明治初期にかけてのおよそ250年から、各執筆者が節目の年を選び出し、文学・風俗・美術・宗教・政治など、多様な切り口でその一年について論じる。
◆「我衣」 加藤曳尾庵著(『日本庶民生活史料集成』第15巻 〈三一書房〉所収。原本は写本)
江戸時代中-後期に、当世の文化人らと交流をもった医者・加藤曳尾庵(えいびあん)が著した随筆。彼の感興をそそった江戸の世相・風俗が生々しく綴(つづ)られている。
<P.S.>古典籍から新たな創作
前職の国文学研究資料館(東京)では「ないじぇる芸術共創ラボ」という事業に携わっていました(今年10月~21年3月は協定により神戸大と兼任)。事業の目的は、館が集積する大量の古典籍(明治以前に日本で造られた書物)を誰でも使える文化的資源として社会に開放し、活用を促すこと。各方面で活躍するクリエーターと研究者が共に古典籍をひらき、議論し、新たな創作活動を行います。事業始動から3年がたつ今、古典籍からさまざまな芸術作品が生まれつつあります。どの作家も「古典を知ることで自由になった」とおっしゃるのが興味深いです。
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