テニスの全米オープンで優勝した大坂なおみ選手が試合の中で「ブラック・ライブズ・マター」運動への賛同を表明したことは、日本でもさまざまな論議を巻き起こした。その中には、彼女は「日本人」なのかと疑問視する声もあったが、そもそも「日本人」とは誰のことなのだろうか。
法的に日本国籍を有するというだけではなく、「日本人」とは一つのイメージでもある。黒い髪に黄色い肌を持ち、礼儀正しく、日本語を流ちょうに話す人々……。だが、実際には厳密な定義に基づいているわけではない。ハイチ系アメリカ人を父に持つ大坂選手の存在は、境界線上の人々が現実には数多く存在することを示している。「日本人」とは誰かという問いに答えることは、思われているほど容易ではない。
歴史を振り返れば、「日本人」としての意識を持った民族的共同体は前近代から存在していたものの、そのアイデンティティー(固有の自己像)が強調されるようになったのは明治維新以降の近代においてだった。近代国家の形成により従来の中間共同体や身分制が解体され、人々は「国民」という単位に再編成される。そこで共通の自己像が求められたのである。
■忠臣として描かれた 「楠公」
しかし、それは無から生み出せるものではなく、前近代から受け継がれたイメージに基づく。近代日本の場合、南北朝時代の南朝の存在がその源の一つとなった。鎌倉幕府を打倒するも北朝を擁した足利尊氏の「反逆」に遭い、劣勢の中で吉野を拠点として抵抗を続けた後醍醐天皇と「忠臣」たち。それが、天皇を中心とする国民国家を確立する上で自己像のモデルとなったのである。
そのため、近代日本では南朝を巡る過去の文献が再解釈されていった。代表例が南朝方の公卿(くぎょう)・北畠親房により著された歴史書『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』である。
同書は、日本という国を天皇が永久に統治するべく定められた「神国」であるとし、天皇に対して「忠をいたし命を捨つるは、人臣の道なり」と説く。国民道徳の古典として再発見されたが、親房が元来「人臣」として想定していたのは公家や武士の統治者層であり、階級を超越した国民ではなかった。
他方、南北朝期を題材とする軍記物語『太平記』と、その派生的文献で描かれた武将・楠木正成像もまた、アイデンティティーの鏡として受容されていった。低い身分でありながら武勇と知略で天皇を助ける「楠公」のあり方は、『神皇正統記』との齟齬(そご)をはらみつつ、国民の自己像を形成する上で相補的な役割を果たしただろう。徳川光圀が儒学者・朱舜水とともに正成を顕彰し、現在の湊川神社(神戸市)の場所に墓碑を建てたことから分かるように、江戸時代から既に普及していた心象が下支えとなった。
しかし、このような日本人の自己像は敗戦を機に崩壊する。戦後社会では日本人像から「忠義」や「武勇」が消えうせ、代わって「集団主義」などの国民性を批判する、あるいは称賛する日本人論が盛んに語られていった。それは戦後の日米関係や経済成長を背景とする、新たなアイデンティティーの模索だったといえる。
■自己像の共有すら困難な現代
現在の日本では、もはやそうした日本人像の共有すら困難になっているようだ。
学術的レベルでは、前述のような国民形成の歴史的背景が自覚されるようになったことが大きい。社会全体ではグローバル化が進み、経済的格差が広がり、個人の生き方が多様化する中で、統一的な「日本人」を思い描くことが難しくなりつつあり、漠然とした心象だけが残存している。
他方「日本人」ならざる者を排除しようとする動きも高まっているが、それはアイデンティティーの強化というより、その空洞化による不安の表れなのではないか。
だが、いかに空洞化したとはいえ、イマジナリー(想像的)な日本人像は今なお人々の生を枠づけており、その虚構性を論理的に説いたとしても容易には消え去らない。だとすれば、排除と分断につながらない自己像はいかにして可能となるのか。自らの内に分裂を抱えて漂流する、人々のありのままの姿がその出発点となるのだろう。
これまで概観してきた過程は、日本人のイメージが歴史的経験をふまえた物語によって構築されてきたことを示している。とすれば新たなアイデンティティーもまた、そうした言葉によって語り出されるのかもしれない。人文学はこのようなときにこそ、アクチュアリティ(今日性)を持ちうるはずである。
【さいとう・こうた】1986年、東京都生まれ。東京大学大学院修了。専門は日本思想史。著書に「『神国』の正統論-『神皇正統記』受容の近世・近代-」。2020年から現職。
〈ブックレビュー〉
◆「太平記<よみ>の可能性-歴史という物語-」兵藤裕己著(講談社学術文庫)
『太平記』に内在していた「あやしき民」の論理。楠木正成に象徴されるその側面は、後世の解釈において身分制からの解放というイメージを生み出し、それゆえにこそ近代国民国家に統合されていく。その歴史が圧倒的筆致で描き出される。
◆「「日本人論」再考」船曳建夫著(講談社学術文庫)
近代に書かれた日本人論の再検討を通して明らかにされる、日本人のアイデンティティーの歴史。著者は日本人論の根底に、西洋の地域的歴史に属さずして近代化したがゆえの不安を見いだし、日本人論が必要とされない未来を展望する。
〈P.S.〉過去を知り今に生かす
現在の専門は近世・近代の日本思想史。元々は西洋哲学を専攻するつもりでしたが、日本に生きているとはどういうことなのかを掘り下げようと、大学院では歴史書『神皇正統記』の受容史をテーマとして取り上げました。戦前まで大きな社会的影響力を持っていた歴史書や神道思想の解釈の歴史を通して、過去の人々が「日本」や「日本人」なるものをいかにとらえていたのかを明らかにしようと考えたのです。現在担当する留学生教育の経験も研究の視点に生かしていければ、と思っています。
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