エッセー・評論

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南コニー助教
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 新型コロナウイルスのまん延により、私たちの日常生活の基盤は揺らぎ、新しい生活様式への順応を余儀なくされている。一方で、自粛生活の中で自身と向き合う時間が増え、今後の生き方を考えるきっかけにもなった。

 しかし、そんな危機にさらされるはるか以前から、この社会が平和で平等であるという考えは幻想にすぎないと私たちは気づいていた。格差社会による貧困の拡大、人種差別、隣国との戦争の危機、政情不安、自然災害などが主な要因だ。孤独や生きづらさから命を絶つ人も増えている。

 このような危機の時代を共に生きるため、21世紀の人文学にできることを問われたら、まずは「共感力を養い、それを行動に移し続けること」だと答えたい。

 共感力は、相手の気持ちや立場を自分と重ねて寄り添える力。既存の思考方法に捉われずに、他者との「違い」を可能性や多様性とプラスに考えられるようになる上、自分の主張もしやすくなると考えられる。異なる視点や多角的に物事を理解する力が、理不尽な状況や非人道的な立場に置かれた人への無関心を防ぐことができる。

 その力を養う最も効果的な方法の一つは「読書」。本を読む時の脳の働きは疑似体験を生み出し、他者の視線を通して登場人物の感情や思考を理解しようとする。新型コロナの第2波に襲われているフランスやイタリアのほか日本でも、アルベール・カミュの『ペスト』がよく読まれているという。小説を通して読者が共感力をはぐくんでいるようにも考えられる。

■最大の悲劇は善人の沈黙

 しかし、共感力だけでは世界は変わらない。ここでマーチン・ルーサー・キング牧師の有名な言葉を引用したい。

 「最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である」-。

 理不尽な状況にいる人間の気持ちに共感しても、現状を変える勇気や行動が伴われなければ、ただの隷従もしくは共犯にすぎないという意味である。

 実際、牧師はとりわけアフリカ系アメリカ人に対する人種差別に反対の声をあげた。現在のアメリカの「ブラック・ライブズ・マター」問題にもつながる公民権運動を率い、1964年7月2日、ジョンソン大統領の下で、公民権法を成立させることに成功。法の上での人種差別は終わりを告げることになる。さらに、キング牧師は人種差別を受ける黒人たちが白人たちによる植民地化に加担し、遠く離れたベトナムの地で無辜(むこ)の民を殺す道具になることにもまた反対した。

■理不尽な国家権力を裁く

 ここで、あたかもキング牧師の声に呼応するように、アメリカによるベトナム民衆の大量虐殺に対して異議を唱えたバートランド・ラッセルやジャン=ポール・サルトルたちが67年に開いた、世界初の民衆法廷「ラッセル法廷」に言及したい。

 民衆法廷は国家や国際機関が設置する法廷とは異なる。法的拘束力は伴わないが、国際的な人道問題が発生している地帯に関する情報を広く知らしめるとともに、問題の所在を明らかにし、現状を糾弾することで和平を促す。現在も世界各地で開かれている。

 ラッセルが提唱し、サルトルを裁判長にストックホルム、東京、ロスキレ(デンマーク)で開かれた裁判では、アメリカ軍が使った武器やそれによる惨状がベトナム人被害者の証言なども交えて報告され、アメリカが有罪となった。

 繰り返すが、この判決に法的拘束力はない。しかし、特筆すべきは市民が戦争犯罪を糾弾する声をあげ、裁判の主体となり、執行者にもなり得ることを示した点にある。アメリカの圧力で法廷開催をさまざまな手段で妨害しようとしたイギリスやフランス政府に抗した声の意義を忘れてはならないだろう。「民衆法廷」は思想家や知識人が市民と共に理不尽な国家権力を裁くことを呼びかけた歴史的事件であり、裁判の歴史においても画期的な転換点であった。

 法廷期間中、サルトルは新聞記者から「どうしてこのような裁判を(裁判官ではない)あなたが開くのか」と質問され、次のように答えている。「それはあなたがしなかったからだ」と。戦争の悲惨さを目にし、アメリカを非難する記事を書いただけでは戦争は終わらない、さらなる一歩を踏み出す必要があるというのが信念だった。

 日本のような同調圧力の極めて強い社会で反対の声をあげるのはとても難しい。唯々諾々と従うか沈黙を守る方がはるかに「楽」なのだ。しかし、それではますます生きづらくなる。声をあげよう、共感の声を広げよう、自らの責任を背負いながら一歩踏み出そう。

【みなみ・こにー】コペンハーゲン生まれ。神戸大大学院文化学研究科修了。博士(文学)。専門は現代思想、ジェンダー学。2018年から現職。

〈ブックレビュー〉

◆「実存主義とは何か」J-P サルトル著、伊吹武彦訳(人文書院)

 人間の自由、責任、社会参画の意義について分かりやすく解説した実存主義の入門書。マルクス・ガブリエルの「新実存主義」を読む上で、改めて読み直すと新たな発見がある。「顏」「糧」など短編の文学作品も収録されている。

◆「権力に対する抵抗の記録」森川金寿著(創史社)

 「民衆法廷」の意義を伝える貴重な記録の書。国際判事としてラッセル法廷に参加した日本人弁護士の視点から、ラッセル法廷の設立経緯や法廷の全容を詳細に明らかにしている。

〈P.S.〉後世に語り継ぐ

 ラッセル法廷50周年記念シンポジウムを2018年8月、第3回法廷が開かれたデンマークの古都ロスキレで主催しました。現在デンマーク、フランス、スウェーデンの研究者や各種メディアと協力し、そのドキュメンタリーを製作中です。情報があふれている社会で忘れられてしまいかねない「大量虐殺」と、それに対する告発の記憶を記録に残すことで、きちんと後世に語り継いでいきたいと考えています。現地では、本に見立てた人間を貸し出し、借りた人がその人から話を聞く「人間図書館」の運営などに携わってきました。

2020/11/21
 

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