戦争や紛争、および災害の体験や記憶継承について聞き取りをしていると、「笑い」の場面にしばしば出くわす。語り手が暴力の不条理を皮肉っぽく冗談にしたり、緊張の中で不意に見られるコミカルな瞬間について話したりするのである。
わたしが長くフィールドワークをしている土地の一つ、英領北アイルランドは、1998年まで民族紛争を経験し、今も街のあちこちに、対立する住民集団を接触させないために軍が建てた高さ数メートルの壁がそびえる。すぐ隣に住む女性の話では、夜になると決まって壁の両側に人が集まり、石、ガラス瓶、火のついた花火などを壁の向こうの「敵地」に投げ込むので、それを毎日のようにきれいにしなくてはならない。あるとき、彼女は自分の誕生パーティーに壁の向こうの友人たちを招待する。夕方にパーティーはおひらきになるが、壁の外に出るには道をぐるりと迂回(うかい)しなくてはならない。笑って言い合ったという。「石とか火炎瓶とか、そういうものをどうせ投げ合ってるのだから、もう自分たちの体を壁の向こうに投げてしまえばいいんだよね」-。
■恐怖や悲しみのただなかで
北アイルランドの紛争は、英国系住民とアイルランド系住民の対立に英軍が関与し、武装ゲリラの本拠地があった都市部の低所得者地区が主な戦場となった。数十年にわたり日常生活を紛争の中で送ってきた住民たちは、意外なほどよく冗談を言って、笑う。時として、そのユーモアは聞き手に向けた配慮と思われることもあった。恐怖や苦痛にかかわる重苦しい話をしてしまったと思った語り手が、場の雰囲気を和らげようとするのであろう。もともと独特のブラックなユーモアで知られる土地柄である。しかし、中には暴力や分断そのものを笑うような話もあって、わたしを戸惑わせた。
1人の元アイルランド共和軍(IRA)兵士は、おれたちは仲間うちでもずっと笑っていた、と言った。IRAが政府の要人や警察・軍関係組織に対する狙撃や爆破活動を活発に行っていた頃の話である。翌週自分は人を殺すかもしれない、その人には親や子どもがいるだろう。あるいは爆弾の扱いを間違えて、もしくは軍に狙撃されて、死ぬのは自分の方かもしれない。そうした直視しがたい現実を目の前にしたとき、冗談を言い続けることをやめられず、「敵」兵士を滑稽に表現したり、襲撃行動に向かうその日の朝の、自分のいつも通りの行動を、面白おかしく話したりしたのだという。
また、ある女性は対立する隣人集団に住まいを奪われたときのことを話してくれた。「自分は家をきれいにしていたから取られてしまった。家が汚いので放っておかれた知り合いもいた」。彼女はそう言って笑った。
紛争にまつわる笑いは多様で、シンプルな解釈を許さないものも多い。いずれにせよ、わたしは歴史や人間心理についてそれまで持っていた認識をひとまず脇におき、相手の話の中に全面的に身を置こうと試みる。そこで見えてくるのは、こうした笑いの数々は、恐怖、悲しみ、怒りの対極にあるのではなく、そのただなかに生まれる-ということだ。
■時として見える別の世界観
笑いについての議論は人文学のさまざまな領域で重ねられてきた。これらの議論と、具体的な個人が目の前で漏らした笑いとのあいだを、わたしは往還しつづける。
人類学では、笑いは身体レベルにまで染み込んだ多くの「共有知」を前提とすると考えられている。コミュニティー内の「常識」を基盤としつつ、それをひっくり返そうとするものとも指摘される。そのような見方に立つと、記憶、経験、日常とは何かという問いが、わたし自身にも向けられてくる。
言葉も生活習慣も違うヨーロッパの一地域の話は、遠い世界のことのように聞こえるかもしれない。だが異質さがここまで際立たなくとも、自分とは違う社会環境で生きてきた人と、わたしたちは日々出会っている。
たとえば、生まれ育った時代や経済階層の違いかもしれない。あるいは震災で打撃を受けた地域や、コロナ禍において危険に身をさらしている人々と、そうでない人たちの差もあるだろう。さらに言えば、見知った相手と思い込んでいた人物がふと漏らす冗談の向こうに、時として「もうひとつの世界観」が姿をのぞかせることもある。
彼・彼女にとって、それが笑いの対象になりえたのはなぜなのか。そうした疑問の中に、社会に対する想像力の可能性がひらけてくる。
【さかい・ともこ】英・ブリストル大学博士課程修了。大阪大学グローバルCOE特任助教、東北学院大学教養学部講師、同准教授を経て、2018年より現職。
〈ブックレビュー〉
◆「精霊と結婚した男- モロッコ人トゥハーミの肖像」 V・クラパンザーノ著、大塚和夫・渡部重行訳(紀伊国屋書店)
モロッコの街に暮らす、ラクダの足の女悪魔と結婚したという孤独で貧しい瓦職人と、米国の人類学者。2人の対話の中に幻想と事実とが混然一体となった生のイメージが展開する。
◆「紛争という日常- 北アイルランドにおける記憶と語りの民族誌」 酒井朋子著(人文書院)
30年間継続し、日常生活の一部となった紛争。暴力の恐怖、紛争下の人間関係、戦争と紛争に彩られた家族の歴史を、やっと訪れたはずの「和平の時代」に人々はどう思い起こすのか。現地での聞き取りから分析。
〈P.S.〉実社会での調査重要
人文学は歴史資料や論文を読み解きながら研究を進めることが多いですが、わたしが専門とする質的社会学と人類学は、実社会でいろいろな活動を見たり、人に話を聞いたりすることも重要になってきます。これを「調査」と呼んでいます。本や論文を読んで培った知識、感覚、観点を総動員しつつも、それらの枠組みに縮こまることなく、調査した現実をとらえようとしていきます。身の回りの物事や人間関係の仕組みが社会理論をきっかけとして理解できると、視界が一気にひらけるような体験となります。
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