私は、都市に生きる日雇い労働者や野宿生活者など、都市下層の人々の世界を探究してきた。その世界に根ざしてこそ、視(み)えてくることがある。例えば、近年さかんに耳にする「持続可能性」という言葉を考えてみよう。国連は「ESD(Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育)」を提唱し、日本でも2005~14年にかけての期間が「持続可能な開発のための教育の10年」と定められた。このプログラムは、環境・貧困・人権・平和・開発などの諸問題を解決するための教育を理念として掲げており、それ自体は誰もが歓迎しそうに思える。
だが、ここで立ち止まって、ある現実をこの理念に突き合わせてみたい。同じ2005年に、愛知万博(愛・地球博)が開催された。この博覧会を開くために、名古屋の都心では公園から野宿生活者が追い払われた。「自然の叡智(えいち)」というメッセージを全世界に向けて発した博覧会は、しかし、足元で排除を引き起こしたのである。
この理念と現実との矛盾から考えるべき人文学の課題は、たくさんある。少なくとも次の二つのことを、問わねばならないだろう。まず、それは「誰にとっての」持続可能性なのか、という問い。この事例は、誰かにとっての持続可能性が、ほかの誰かにとっての排除や抑圧に結びつきかねないことを教えている。もう一つは、なぜわざわざ「持続可能性」を目標として掲げなければならないのか、という問い。その前提には、このままでは地球環境は持続しえないという現実の認識があるはずだ。なにを当たり前のことを、と思われるかもしれないが、「なぜ持続不可能な事態に陥ってしまったのか」と問われることは驚くほど少ない。これは、かなり危うい事態である。というのも、「持続可能な開発目標(SDGs=Sustainable Development Goals)」という新たな目標が再設定され、かつ、それは2025年大阪・関西万博のスローガンへと組み込まれているからである。
■批判意識を持ちながら街に出る
このような批判意識を持ちながら、街へ出てみよう。実は、この課題を考えるための手がかりは、街中に転がっている。試みに、神戸市中央区の波止場町をたずねてみる。道沿いに建つかつての岸壁には、港湾荷役記念碑写真パネルが常設されている。これらの写真は、いまでは消費者でにぎわうウオーターフロントが、かつて労働者の身体が群れなす労働空間だったことを伝える。その向かい側には港湾労働者福祉センターが建っている。建物の内側をのぞくと、職安の窓口や食堂や銭湯の痕跡、据え付けの将棋台などが並ぶ光景が目に入る。かき消されてしまった労働者の喧騒(けんそう)が、鳴り響いているような気持ちになるだろう。
と、ここまではフィールドワーク研究の第一歩にすぎない。肝心なのは、このような郷愁の向こう側の領域へと踏み込むことだ。幸いなことに私は、半年前から、波止場で長年にわたり労働・生活してきた方々にインタビューする機会をいただいている。お話を聞くほどに、波止場の心象地理が塗り替えられていくような、そんな経験のただ中にある。例えばその空間がつねに戦争と表裏一体であった事実は、いっそう重みを増していく。じっさい神戸港の地形の変化を記述するのに、コンテナ化などの技術革新やグローバル経済の動態はもちろん、1950年代の朝鮮戦争や60~70年代のベトナム戦争を切り離すことはできない。
さらに、このような記憶を位置づけ、ピン止めする上で最も重要なのは、労働者の身体である。インタビューの中で紹介していただいた一枚の写真を見て、衝撃を受けた。そこには、無造作に山積みされた麻袋の中で労働する、一人の労働者の姿が映し出されていた。その麻袋一つ一つが、アスベストを飛散させていたのだという。ときはまさに、高度経済成長の時代である。こうして私たちは、「成長」や「発展」と呼ばれるものが、アスベストまみれの労働者の身体と共にあったことを、つまり特定の誰かの犠牲の上に成り立っていた事実を、突きつけられる。さて、足元にある現実を知らないままに、どうして持続可能性を語ることができるのだろう?
■地理学の探究すべき新たな領域
ところで地理学につきまとう誤解の一つは、地図を読んだりつくったりするだけの学問と思われがちなことだ。それだけで事足りた時代は、遠い過去である。近代の地理学は、大航海時代以降の探検と「発見」(あくまで西欧社会にとっての)とともに歩んできた。ところが、いまや地球の表面上はくまなく「発見」され尽くしてしまった(そしてまた、採掘され尽くした)。なにしろケータイの液晶画面をつうじて、指先で地球を転がせてしまう時代である。とするなら、地理学は役目を終えたと思われても仕方がないし、まして文学部に存在する意味などあるはずもない。
だが、地理学はしぶとい。過去50年のあいだに、学問の根幹を揺るがすほどの大転換が、しかも、一度ならず起こったのだ。その証拠に、インターネットで検索してもらえばすぐ分かるのだが、海外の文献には地理学の英語表記を「Geography」ではなく「Geographies」としているものが多い。それだけ地理学は複数化されていった。のみならず、探究すべき新たな領域を見いだした。つまり、人々の内面に潜む記憶や心象の空間である。それは、地図が明晰(めいせき)さや正確さを高めるほどに、かえって見えにくくされてきた領域だった。
土地に刻まれた記憶は、地質のように層をなす。それぞれの時代の多様な力線が、それぞれの層を形成し、場所によってさまざまな褶曲(しゅうきょく)をみせる。私たちは、自分自身がそのような積み重なりの上に生きていることに気づく。「いま、どこにいるのか」を知ることは、いまでも地理学という営みの根幹にある。とはいえ私たちは、グーグルマップの中に生きているわけではない。いまもまだ地理学が必要であるとするなら、その役目とは、たんに地図を与えるのではなく、地図そのものをつくり変えていくことである。そのような作業を、大学の内側だけで成し遂げられるはずもない。
忘れてはならないが、フィールドワーク研究をするとき、私たちは「教える」のではなく「教わる」のである。かたちなく拡(ひろ)がる巷(ちまた)の知性に、かたちある大学は支えられている。その気づきこそ、人文学としての地理学にとって最も重要な発見なのだろう。
【はらぐち・たけし】1976年鹿児島市出身。東京大文学部卒、大阪市立大大学院文学研究科修了。専門は社会地理学、都市論。2012年から現職。
〈ブックレビュー〉
◆「叫びの都市-寄せ場、釜ヶ崎、流動的下層労働者」原口剛著(洛北出版)
このコラムでは全く触れなかったが、私は寄せ場/ドヤ街として知られる大阪の釜ヶ崎についてフィールドワーク研究を行ってきた。その社会史は、博覧会や万博を根本から考える上で、重大な教訓を与えてくれるだろう。
◆「ジェントリフィケーションと報復都市-新たなる都市のフロンティア」ニール・スミス著(ミネルヴァ書房)
世界的に読まれているジェントリフィケーションの重要書であり、不均等発展論など刺激的な空間論が凝縮された1冊。ドリーン・マッシー著「空間のために」(月曜社)と、合わせて読んでみてほしい。後者には「地層としての社会史」をめぐる議論が存分に展開されており、近年の地理学の醍醐味(だいごみ)を知ることができる。
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