エッセー・評論

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梶尾文武准教授
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梶尾文武准教授

梶尾文武准教授

梶尾文武准教授

 今日が昨日と同じであるような平穏な毎日、とりたてて新しい出来事などない毎日を、「日常」という。疫病がもたらした「自粛要請」の下で生じた“監禁状態”の日々は、日常を破壊したという意味で、例外的な「非日常」だった。これまでの日常とは異質な日々は今も続き、それは「新しい日常」という語義矛盾めいた言葉で呼ばれている。

 「新しい日常」で、遊ぶことも働くことも人と会うこともままならず、すっかり退屈しているのは私だけではあるまい。だが考えてみれば、そんな気分は従来の日常の中に潜んでいた。何ごともない退屈な毎日こそが、「日常」という言葉で呼ばれてきたはずだ。

 コロナの災禍がもたらした非日常は、日常を覆したというより、その底に潜む退屈さを極端なかたちであらわにしてしまったというべきなのかもしれない。

 「日常」とは何か。敗戦後の日本文学は、これを中心問題としたといっても過言ではない。とりわけ、敗戦後の廃虚のざわめきが消え、戦後革命の可能性も薄らいだ1955(昭和30)年以降の小説家たちは、戦後の平和な日常、退屈な日常をさまざまに描き出した。

■あいまいで執拗な壁に閉ざされ

 大江健三郎は大学在学中に小説家としてデビューして以来、平和な戦後の日常を、あいまいで執拗(しつよう)な壁に閉ざされた監禁状態として描き続けた。例えば長編小説『われらの時代』(58年)の主人公は、日常生活からの脱出を願い、戦争の時代をその外部として夢みている。《あの英雄的な戦いの時代に、若者は希望をもち、希望を眼や脣(くちびる)にみなぎらせていた》。

 主人公とその弟は、日常という壁の内側であがき回るが、結局のところそこから脱出することはできない。大江作品においては、戦後日本の退屈な日常を否認する青年たちは挫折へと導かれ、彼らの脱出への希望は絶えず罰せられる。かつて英雄的な刺激に満ちた時代があったとしても、そんな過去への回帰を断念すること。この何ごともない退屈な「現在」と、そこで渦巻く不満の中に踏みとどまること。これが、大江が50年代後半に選択した倫理だった。

 三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』(59年)は、《みんな欠伸(あくび)をしていた》という一文に始まる。登場する4人の青年と1人の女は、戦後に到来した《大真面目の、優等生たちの、点取虫たちの陰惨な時代》を軽蔑する。彼らの内面には、《あの無秩序な焼跡の時代》の記憶が生き続けている。戦後という平和な時代の硬直した秩序に異を唱えるべく、この作品の人物たちは廃虚の時代の無秩序な混乱を呼びさます。

 『鏡子の家』が描き出した無秩序な廃虚のイメージを、のちの三島は日本文化を貫く一つの「伝統」として語った。「文化防衛論」(68年)では、暴力と無秩序を文化の源泉として捉え、政治的なものとは別の「文化概念としての天皇」が、《国家権力と秩序の側だけにあるのみではなく、無秩序の側へも手をさしのべていた》と語る。伝統回帰を装いながら語られた三島の美意識とは、平和な時代の日常の秩序を否定しようとする意志の異名だった。

■未来は連続感への有罪宣告

 安部公房の長編小説『第四間氷期』(59年)には、「予言機械」なるものが登場する。その予言によれば、未来の人間は環境の異変を逃れるために遺伝子組み換えの技術を使い、エラをはやした水棲(すいせい)人間と化している。

 主人公は機械の開発者として結果を世間に公表し、このいまいましい未来を改変しようとするが、当の未来人によって阻まれる。後戻りすることが幸福だとは限らない。未来人にしてみれば、水中での生活こそが、不幸でも何でもない日常なのだから。

 安部は本作のあとがきに、《未来は、日常的連続感へ、有罪の宣告をする》と書いた。《日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならない》と。一見すると非現実的な構図の下で安部が示したのは、それまで続いた日常が断絶されるところにしか「未来」はないという、苛烈きわまる現実認識だった。

 大江の「現在」、三島の「伝統」、安部の「未来」は、戦後が終わった時代の日本に到来した「退屈な日常」を三様の仕方で捉え直し、揺さぶった。

 「退屈な」という語が「日常」の枕詞(まくらことば)となったこの時代から約60年。従来の日常が強制的に終わらされ、いっそう残酷な退屈が迫りつつある今日、彼らの思索から受け取るべきものは少なくない。

【かじお・ふみたけ】1978年神戸市生まれ、岡山県育ち。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。専門は日本近現代文学。西江大学校(韓国)助教授を経て、2014年より現職。

〈ブックレビュー〉

◆「否定の文体 三島由紀夫と昭和批評」梶尾文武著(鼎書房)

 三島由紀夫の創作と行動を「天才」や「独創性」というドグマから解き放ち、昭和期日本における文学的言説との相関性の中で捉え直す。三島を視座とすることによって、昭和30年代以降の文芸批評史に新たな展望を与える。

◆「谷崎潤一郎・川端康成」三島由紀夫著(中公文庫)

 三島による谷崎論・川端論を初めて集成した一冊。2人の先人を道しるべとして、三島がいかにして自らの「美」を錬磨したかをうかがい知ることができる。私が著した本書巻末の解説「自己表象としての美」も併読されたい。

〈P.S.〉仲間と同人誌発行

 文学には「研究」と呼ぶのがどこかなじまない、趣味の延長のような性格があります。最近、私は昔からの飲み仲間たちと、「文学+」という研究業績にカウントされない同人誌を出しました(https://twitter.com/bungakuplus)。日本近現代文学をメインに、文学研究と文芸批評とを橋渡しし、商業誌とも学術誌とも異なる場をつくりたいと思っています。同人の「凡庸の会」という名は、そんな青年的野心を秘めた中年同人たちの照れ隠し。私は本誌に「大江健三郎ノート」を連載中です。

2020/8/21
 

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