エッセー・評論

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村井恭子准教授
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村井恭子准教授

村井恭子准教授

村井恭子准教授

 かつてNHKの「シルクロード」や「人形劇三国志」のファンだった方々には意外かもしれないが、大学で中国史、特に前近代史を専攻する日本人学生が全国的に減少している。原因は複数考えられるが、現代中国の尖閣問題やチベット・ウイグル問題など、領土・民族に関するニュースの影響は否定できないだろう。

 しかし、現代中国の姿を単純に過去に投影してしまってよいだろうか。「中国人」と呼ばれる固定の人間集団が、現代中国の領域という固定した空間で興亡を繰り返したような印象となってしまうのではないか。これでは過去の人々の大陸規模のダイナミックな活動や、喜怒哀楽に満ちたさまざまな状況が見落とされることになるだろう。

 日本人になじみ深い唐朝(618~907年)を例に見てみると、その建国者である高祖李淵や太宗李世民らは漢族を自称したが、実は元来、東北部にいた鮮卑(せんぴ)族の家系だと考えられている。彼らは隋末の群雄割拠の戦乱の中から台頭したわけだが、建国の際には中央アジア出身のソグド系住民や匈奴(きょうど)系遊牧集団などが協力したり、中国統一までには北方モンゴリアの突厥(とっけつ)第一帝国の介入があったりと、非常に複雑な状況が展開したのである。

 また、唐中期の755年に安禄山が反乱を起こしたことは有名だが、この安禄山も元来突厥国内にいたソグド・突厥の混血であった。彼は青年期に唐へ亡命し、幽州(現在の北京)の長官の目にとまったことをきっかけに、巧みな話術とエキセントリックな容姿で楊貴妃に取り入り、玄宗李隆基の寵臣(ちょうしん)にまで昇りつめたのである。

 彼が組織した反乱軍は、漢族のほかソグド・モンゴル・トルコ系遊牧民などを含む諸族連合軍であった。対する唐軍もまた中央アジアなどから兵力をかき集めて編成した諸族連合軍であり、この両者が激突したのである。一口に天下分け目の戦いといっても、関ケ原の戦いとは次元がまったく異なることが理解されよう。

■政治的な 歴史観には惑わされず

 そのほか、一般に中国王朝の一つに数えられる元朝(1271~1368年)も、現代中国の空間を越えて見直すと、ユーラシア大陸の大部分を支配した大モンゴル帝国の東の一部にすぎなくなる。この大モンゴル帝国内ではヒト・モノ・情報が行き交っていたのであり、元朝だけを見ていては、なぜマルコ・ポーロがわざわざ元の大都(現在の北京)までやってきたのかが理解できないだろう。

 そもそも「中国」という言葉は国名や文明を指したり、ゆるやかな地域名を指したりする多義語である。前近代の歴史文献に見える人間のまとまりや地理範囲を示す「中国」やそれに類する言葉を見ても、その指す内容が一定しない。「漢族」を取ってみても、さまざまな種類の人間が混ざり合い、時間とともに変容してきたのである。つまり、「中国」や「中国人」は可変的なものなのである。

 しかし近代に観念された「中国」は、列強の侵略を受けてナショナリズムが刺激されるなどした結果、前近代にはない明確な国民と領域の観念を備えて立ち現れたものであることには注意せねばならない。これに合わせて中国の歴史を見てしまうと、現代中国の領域空間で、現代の中国人の先祖にあたる人々によって、王朝の興亡が繰り返されてきたことになる。この見方は、現在中華人民共和国政府推奨の歴史観でもある。

■人間世界の複雑さを 知る醍醐味

 中華人民共和国は56の民族からなる多民族国家であり、その90%以上を漢族が占めている。同政府は、国民の結束を促す目的から20世紀に「中華民族」という概念を新たに打ち出し、56の民族を一つの人間集団と設定した。そして古代から現代までの中国史を、漢族を中心とする中華民族の発展史として描いている。

 こうした政治要素を含む歴史観は現実問題に影響を与える場合もある。例えば、高句麗(こうくり)国(前1世紀頃~668年)や渤海(ぼっかい)国(698~926年)は、それらの領域が現代の中国、北朝鮮、ロシアに跨(また)がっているために、各国がそれらの歴史を自国の歴史に含め、他国の主張を認めない「歴史の争奪」が発生している。しかし、この歴史観では当時の高句麗人や渤海人が目指したものが見えなくなってしまう。

 道理から言えば歴史の見方は複数あるはずで、現在から過去を振り返るだけが方法ではない。過去から現在までの人間世界の複雑さを知ることこそ歴史の醍醐味(だいごみ)であり、われわれの世界認識にも広がりをもたらすのである。ここでは中国史の事例を挙げたにすぎないが、いずれの歴史にせよ、その見方はさまざまあることだけでも知っておくと、世界はもっと面白く見えてくるだろう。

【むらい・きょうこ】石川県出身。北京師範大学歴史学院修了。専門は中国前近代史(唐代が中心)。2009年から神戸大学人文学研究科講師、11年から現職。

<ブックレビュー>

◆天下と天朝の中国史 檀上寛著(岩波新書)

 2千年にわたる中国の天下(皇帝/天子の統治空間)観と天子の徳治による統治論理の変遷を通史で読み解く。現代中国が掲げる「中華民族の偉大な復興」もまたこの統治論理を継承すると指摘。中国通史および現代中国への理解を助ける。

◆渤海国とは何か 古畑徹著(吉川弘文館・歴史文化ライブラリー)

 日本とも関わる渤海国の歴史を多角的に考察する。本書の特徴は、渤海国の領域が現代の複数の国境を跨(また)ぐために各国で渤海史の「争奪」が起きている状況を取り上げ、歴史の語られ方に注意を喚起し、当時の実像を知る必要を説く点にある。

<P.S.>現場では発見の連続

 「百聞は一見に如(し)かず」とは「漢書」に由来し、趙充国という人物が「戦争をするには実際の現場を見なくてはいけない」と主張した際の言葉です。私も史料を読むだけではなく、中国のあちこちに行って現場を見て研究を行っています。砂漠の中に屹立(きつりつ)する城塞(じょうさい)や内陸の塩湖など、日本では見られない風景に出合います。こうした現場では想像を超える発見が多々あり、過去の人々の営為に驚嘆することもしばしば。現在はコロナで調査に出向くことができなくなっているので、早期の収束を願うばかりです。

2021/3/20
 

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